女紅場
(女紅 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 14:23 UTC 版)
女紅場(にょこうば[1]、じょこうば[2])とは、明治初期に存在した女子教育機関(女学校)の一種。「女紅」と呼ばれた女性の手仕事(裁縫・手芸など)の教育を中心とする教育機関である[3]。1872年に京都府によって設立された「女紅場」(新英学校及女紅場)がその最初の事例で、学校教育制度が整備されるまでの時期(おおむね1870年代)に、関西地方などを中心として一部地域で広がった。「裁縫所」「縫製所」、あるいは「女工場」[2]「女紅伝習所」[2]などの名称も用いられた。
注釈
出典
- ^ a b c “女紅場・女功場”. 精選版 日本国語大辞典(コトバンク所収). 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 千野陽一. “女紅(工)場”. 世界大百科事典(Excite辞書所収). 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b 松田有紀子 2010, p. 404.
- ^ 重久篤太郎, p. 102.
- ^ 泉敬子・倉田まゆみ 1991, pp. 44–45.
- ^ “女功・女紅”. 精選版 日本国語大辞典(コトバンク所収). 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 重久篤太郎 1972, p. 102.
- ^ a b c d e f g h 泉敬子・倉田まゆみ 1991, p. 47.
- ^ a b c d e f g h 泉敬子・倉田まゆみ 1991, p. 48.
- ^ a b c 重久篤太郎 1972, p. 104.
- ^ 和崎光太郎 2015, p. 102.
- ^ 和崎光太郎 2015, p. 7.
- ^ 重久篤太郎 1972, pp. 101, 104.
- ^ a b 重久篤太郎 1972, p. 101.
- ^ “同志社女子大学年表”. 同志社女子大学. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “一 学制における小学校の制度”. 学制百年史. 文部科学省. 2021年4月7日閲覧。
- ^ 泉敬子・倉田まゆみ 1991, p. 46.
- ^ 泉敬子・倉田まゆみ 1991, pp. 47–48.
- ^ a b 池田雅則 2006, p. 49.
- ^ a b c “女紅場開場”. 函館市史デジタル版 通説編2. 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b c “女紅場の出現”. 函館市史デジタル版 通説編2. 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b “女紅場設立へ”. 函館市史デジタル版 通説編2. 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b “一 明治期の芸娼妓”. 愛媛県史 社会経済6 社会(昭和62年3月31日発行). 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b c “女紅場の閉鎖”. 函館市史デジタル版 通説編2. 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b “芸娼妓の関心”. 函館市史デジタル版 通説編2. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “学校法人八坂女紅場学園の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁. 2021年4月7日閲覧。
- ^ 松田有紀子 2010, p. 401.
- ^ “名作「京舞」で徹底取材 祇園と文学(3)”. 日本経済新聞 (2017年8月23日). 2021年4月7日閲覧。
- 1 女紅場とは
- 2 女紅場の概要
- 3 授産場としての「女紅場」
- 4 参考文献
女紅と同じ種類の言葉
- >> 「女紅」を含む用語の索引
- 女紅のページへのリンク