奥平貞昌
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奥平 貞昌(おくだいら さだまさ、宝徳3年(1451年)? - 天文4年4月20日(1535年5月31日)?)は、戦国時代初期の三河国の国人領主。久保城の初代城主。奥平貞久の子。奥平貞勝の父。入道後は「道閑」と号した。
- ^ 永正10年(1513年)説もある(大石泰史「今川氏と奥平氏-〈松平奥平家古文書写〉の検討を通じて」」(初出:『地方史静岡』21号(静岡県立中央図書館、1993年)/所収:大石泰史 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-325-1) 2019年、P160.)。
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- 2 奥平貞昌の概要
奥平貞昌
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三河長篠城主。武田勝頼の攻撃を受け、部下の鳥居強右衛門を家康への援軍要請使者として派遣する。
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