太陽の王子 ホルスの大冒険
原題: | |
製作国: | 日本 |
製作年: | 1968 |
配給: | 東映 |
スタッフ | |
演出: | 高畑勲 タカハタイサオ |
製作: | 大川博 オオカワヒロシ |
脚本: | 深沢一夫 フカザワカズオ |
企画: | 関政次郎 セキマサジロウ |
相野田悟 | |
原徹 | |
斎藤侑 | |
作画監督: | 大塚康生 オオツカヤスオ |
撮影: | 吉村次郎 ヨシムラジロウ |
音楽: | 間宮芳生 マミヤミチオ |
美術: | 浦田又治 ウラタマタ |
編集: | 千蔵豊 |
録音: | 神原広巳 |
スクリプター: | 森康二 モリコウジ |
奥山玲子 オクヤマレイコ | |
大田朱美 | |
小田部羊一 オタベヨウイチ | |
土田勇 ツチダイサム | |
その他: | 宮崎駿 ミヤザキハヤオ |
キャスト(役名) |
大方斐紗子 オオカタヒサコ (ホルス) |
平幹二朗 ヒラミキジロウ (グルンワルド) |
市原悦子 イチハラエツコ (ヒルダ) |
三島雅夫 ミシママサオ (村長) |
永田靖 ナガタヤスシ (ドラーゴ) |
横森久 ヨコモリヒサシ (トト) |
横内正 ヨコウチタダシ (モーグ) |
赤沢亜紗子 アカザワアサコ (ピリア) |
杉山徳子 スギヤマトクコ (チャハル) |
堀絢子 ホリアヤコ (ボトム) |
小原乃梨子 オハラノリコ (チロ) |
朝井ゆかり アサイユカリ (コロ) |
水垣洋子 ミズガキヨウコ (マウニ) |
東野英治郎 トウノエイジロウ (ガンコ) |
解説 |
深沢一夫がシナリオを執筆し、高畑勲が長篇動画をはじめて手がけた。撮影は「わんわん忠臣蔵」の吉村次郎。 |
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
昔のこと、寒い北国にホルスという少年がいた。ある日、狩に出たホルスは、狼の大群におそわれたが、岩の巨人モーグに助けられた。ホルスは、そのお礼にモーグが以前から苦しんでいた肩のトゲを抜いてやった。ところがそのトゲは、太陽の剣と呼ばれる素晴らしい剣だったのだ。錆びたその剣をかついで帰ったその夜、ホルスのお父さんは、息をひきとってしまった。ひとりぼっちになったホルスは、仲良しの子熊のコロを連れ、村に出かけたのだがしかしその途中、ホルスは悪魔グルンワルドの使いの大鷲に襲われ、崖から突き落されてしまったのだ。それを救ったのは、鍛冶屋のガンコ爺さんと幼ないフレップだった。元気をとり戻したホルスは、フレップのお父さんを殺した怪魚を、退治したのだ。手下の、大カマスを殺されたグルンワルドは、狼に村を襲わせた。ホルスは狼を追っているうち、廃墟の村を見つけ、そこで美少女ヒルダと出会ったのだが、グルンワルドの妹であるとは知らないホルスは、村にヒルダを、連れて帰った。村では、結婚式が行なわれていた。ヒルダは幸福そうな二人を鼠に襲わせ、ホルスの斧を盗み、村長の席を狙うドラーゴに与えた。ドラーゴは、村長を殺しそこなうと、その罪をホルスにきせてしまったのだ。村人たちにいじめられたホルスは、みんなグルンワルドの仕わざと知って、悪魔退治に出かけていった。このすきに、グルンワルドは村を襲った。一方ホルスは、途中で、ヒルダに襲われたのだが、ホルスはヒルダの剣を叩き落すと優しくヒルダをいたわってやった。ヒルダに人間の心がよみがえったのは、その時だった。ホルスは急いで村に帰ると、太陽の剣を磨きだした。やがて村が、狼や氷のマンモスに襲われた。だがその時、岩の巨人のモーグが太陽の剣に呼ばれて、現われてきた。モーグは相手を粉々にくだいた。ホルスもヒルダから買った空飛ぶ首飾りにのってグルンワルドを追い、太陽の剣で悪魔を滅ぼしてしまった。そしてホルスやヒルダそれに村人たちに永遠の平和が訪れたのだった。 |
太陽の王子 ホルスの大冒険
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 15:45 UTC 版)
『太陽の王子 ホルスの大冒険』(たいようのおうじ ホルスのだいぼうけん)は、東映動画製作の日本の劇場用アニメ映画。公開は1968年7月21日、上映時間82分、シネスコ(東映スコープ)。『東映まんがパレード』(のちの『東映まんがまつり』)の一本として上映された。
注釈
- ^ このうち『ゲゲゲの鬼太郎』(TVブローアップ版)は、公開当時のフィルムが紛失していたため、テレビ放送版のフィルムを再編集して収録した。
- ^ 本作品には、制作開始から完成までの間に中断期間があり、その間に東映動画を退社、あるいは降板するなどしたためクレジットされていないが、林静一、倉橋孝治らも参加している[2]。
- ^ 宮崎駿は当時この文書を大塚から見せられたと、2018年の高畑の「お別れの会」のコメントで述べている[7]。
- ^ 大塚によると、関からは演出(監督)について芹川有吾か矢吹公郎を勧められ、高畑については「もう少しあとでやってもらおうと思っている」と言われたという[6]。
- ^ 『龍の子太郎』はそれから14年後の1979年に東映動画によって長編劇場アニメ化された(監督は浦山桐郎)。作画監督を務めた小田部羊一は東映動画から依頼があったときにスタッフの条件として「演出(監督)は高畑勲」と述べたが、東映動画側は「高畑は絶対に認められない」という返事だったと回想している[9]。
- ^ 東映動画の社内組織上1965年3月に「長編漫画製作部」「TV漫画製作部」「技術部」が統合されて「製作部」となっていた[14]。
- ^ 当時、ソ連が横浜港とナホトカ港を結ぶ定期船を運航していた。
- ^ 『東映まんがまつり』系統で、円谷プロ作品、ならびに同プロ製作のウルトラシリーズが上映されたのは、これが唯一のケースとなった(前年公開の『キャプテンウルトラ』は東映作品)。これ以降、ウルトラシリーズを筆頭とする円谷作品は、『東宝チャンピオンまつり』で上映されている。
出典
- ^ a b 松野本、2009年、p.38
- ^ a b c 大塚、2013年、pp.305 - 307
- ^ 大塚、2013年、p.151
- ^ 東映アニメーション、2006年、p.32
- ^ a b 大塚、2013年、p.159
- ^ a b 大塚、2013年、pp.160 - 161
- ^ a b c “高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)”. ハフィントンポスト. (2018年5月15日) 2018年5月16日閲覧。
- ^ a b c d 大塚、2013年、pp.162 - 163
- ^ 叶、2004年、pp.111 - 112
- ^ a b 大塚、2013年、pp.164 - 166
- ^ 富沢、1983年(同書収録のインタビュー)
- ^ 高畑勲監督お別れ会で号泣の宮崎駿監督...鈴木敏夫Pは「宮崎駿はただひとりの観客、高畑勲を意識して映画を作っている」と LITERA 2018年5月16日
- ^ a b c d e 大塚、2013年、pp.168 - 169
- ^ 東映アニメーション、2006年、p.33
- ^ 大塚、2013年、p.167
- ^ 社長が訊くニンテンドーDSi 小田部羊一さんと『うごくメモ帳』篇 - 任天堂
- ^ 叶、2004年、p.66
- ^ 叶、2004年、pp.100 - 101
- ^ 叶、2004年、p.102
- ^ a b 大塚、2013年、p.170
- ^ a b 大塚、2013年、p.171
- ^ 木村智哉「東映動画株式会社における映画製作事業とその縮小」谷川健司(編)『戦後映画の産業空間: 資本・娯楽・興行』森話社、2016年
- ^ なつぞら:劇中アニメを振り返り! 「神をつかんだ少年クリフ」 小田部羊一さん作「キアラ」も話題に 2019年9月24日 まんたんウェブ 2019年9月26日閲覧
- ^ a b 東映アニメーション、2006年、pp.42 - 43
- ^ a b 池田宏「永遠の『先達』のままで逝ってしまったパクさん」『キネマ旬報』2018年6月上旬特別号、キネマ旬報社、pp.18 - 19
- ^ 小田部羊一「"死"は"果種"(たね)なんだとパクさんは言った」『キネマ旬報』2018年6月上旬特別号、キネマ旬報社、pp.20 - 21
- ^ “もりさんのヒルダ”. アニドウ. 2019年1月13日閲覧。
- ^ 鷲谷花「美しい悪魔の妹たち 『太陽の王子ホルスの大冒険』にみる戦後日本人形劇史とアニメーション史の交錯」『ユリイカ』2018年7月臨時増刊号(総特集 高畑勲の世界)、青土社、p.261
- ^ a b c 鷲谷、2018年、pp.265 - 266
- ^ a b 鷲谷、2018年、p.264
- ^ a b 鷲谷、2018年、p.268
- ^ 鷲谷、2018年、p.263
- ^ 鷲谷、2018年、pp.263 - 264
- ^ 岩井俊二「僕の「やぶにらみの暴君」 - スタジオジブリ(『王と鳥』公式サイト)
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