天保義民事件
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天保義民事件(てんぽうぎみんじけん)は、天保11年(1840年)に出羽国庄内藩主酒井忠器らに出された三方領知替えに対して、庄内藩の領民が反対運動を展開した事件。「天保国替事件」「天保義民一揆」などとも呼ばれる。
注釈
- ^ 『乍恐庄内二郡の百姓とも一統御歓願申上候書付の事』等、領民たちが他藩へあてたいくつもの訴状の文面に理由として挙げられている。(黒正巖 1926)
- ^ 当時は門訴や駕籠訴などの直訴行為自体は処罰対象ではなかった。直訴=死罪というのは後世の誤解である。[要出典]
- ^ 抗議の絶食死だったとも言われている。
出典
- ^ 庄内藩主酒井氏長岡転封阻止一件関係資料 夢の浮橋 挿絵【大より】 文化遺産オンライン
- ^ 青木美智男『旗本新見家に残された天保十二年 三方領地替え中止をめぐる資料』(神奈川県史研究 1972年)
- ^ 『庄内藩復領始末』.
- ^ 『莊内天保之義民』.
- ^ 御側御用取次 新見正路 日記 東北大学付属図書館所蔵狩野文庫の調査
- ^ 夢の浮橋 挿絵【据わりを喜ぶ町民たち】
- 1 天保義民事件とは
- 2 天保義民事件の概要
- 3 概要
- 4 参考文献
- 5 関連項目
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