大多喜城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 14:31 UTC 版)
大多喜城(おおたきじょう)は、千葉県夷隅郡大多喜町にあった戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)。初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。江戸時代には大多喜藩が置かれていた。
- ^ 渡邉包夫が『大多喜城物語』・『日本城郭大系第6巻 千葉・神奈川』で述べる説による
- ^ 江戸期の沿革は小高春雄『房総の城』によって記述したが、小高によれば史料が少ないために不明なところも多いという。
- ^ a b c “大多喜城分館リニューアルへ 県立博物館→町に移譲 5年後めどに耐震工事”. 東京新聞. 2021年12月18日閲覧。
- ^ 『上総大多喜城の天守について-大多喜城下町の復元的考察・2-』
- ^ いずれも日本工業大学の『上総大多喜城の天守について-大多喜城下町の復元的考察・2-』、昭和50年、日本建築学会の学術講演による。
- ^ 例えばさいとうはるき『房総の古城址巡り』では「復元」。『日本城郭大系』・井上宗和『日本城郭の旅』では「復興」だが、近年の書籍やウェブサイトでは「模擬御三階櫓」と書かれることも多い。天守非実在説の影響とも考えられるが、模擬とする根拠、御三階櫓とする根拠は不明である。
- ^ 小高春雄『房総の城』によれば、二の丸裏門ないし御殿裏門で、明治時代に民間に払い下げたものを大正時代に大多喜高校に移築したものだという。
- ^ 雑誌『歴史と旅』昭和63年2月号の特集「風雲2000年の城郭史」に掲載されたデータに拠る。
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