本多忠勝とは? わかりやすく解説

ほんだ‐ただかつ【本多忠勝】

読み方:ほんだただかつ

[1548〜1610]江戸初期大名伊勢桑名城主。三河の人。通称平八郎徳川家康仕え武勇をもって知られた。徳川四天王一人

本多忠勝の画像
紋所の「丸に立ち

本多忠勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 00:07 UTC 版)

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓藤原氏通称平八郎(へいはちろう)。


注釈

  1. ^ 『名将言行録』では「(忠勝は)黒糸の鎧に鹿角打たる冑を着、蜻蛉切りという鑓を、馬手の脇に抱込みて二反(約22メートル)計に押寄せたり。敵味方の真中に馬を静に歩行ませ入れ、味方に下知して引退き、見附の人家に火を掛て、浜松にこそ帰りけれ」とある。
  2. ^ 天正18年8月7日付で本多忠勝から滝川忠征に出された書状(名古屋大学文学部所蔵「滝川文書」本多忠勝書状)に、自分が万喜城を与えられたのは忠征の口添えのおかげとする趣旨の内容が書かれている。このことから、最初に忠勝に与えられたのは万喜城であったことが判明するとともに、その決定には忠征の主君である秀吉と家康の間の合意があったことがうかがえる(柴論文参照)。
  3. ^ 『藩翰譜』では「終に一所の手も負わず」とある

出典

  1. ^ a b c d e 『大多喜町史』(1991年) 479頁
  2. ^ 寛政重修諸家譜
  3. ^ , p. 13
  4. ^ a b c 徳川実紀
  5. ^ 三河物語. 岩波書店 
  6. ^ 祝田家文書. 静岡県史料 
  7. ^ a b c d 尾崎晃「本多忠勝」(『千葉史学』54号、2009年)
  8. ^ a b c , p. 15
  9. ^ a b 藩翰譜
  10. ^ a b c d 『江戸幕府の功労者たちはどんな人生を送ったのか? 徳川四天王』(英和出版社、2014年)
  11. ^ a b c 家康忠勝両公三百年祭事務所編 『家康忠勝両公三百年祭紀要』家康忠勝両公三百年祭事務所、1915年。
  12. ^ a b c , p. 16
  13. ^ 「大久保家秘記」『寛政重修諸家譜』。村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例」『駒沢史学』80号、2013年。
  14. ^ a b 中嶋次太郎『徳川家臣団の研究』吉川弘文館、1966年。 
  15. ^ 川村優「徳川家康の新領国に対する家臣団配置―小田原落城直後の上総の一動向―」(『歴史手帳』6巻2号)
  16. ^ 『大多喜町史』(1991年)310頁-311頁
  17. ^ 川田貞夫「徳川家康の関東移封に関する諸問題」(『書陵部紀要』14号、1962年)
  18. ^ 『大多喜町史』(1991年)306頁
  19. ^ 柴裕之「豊臣政権の関東仕置と徳川領国―本多忠勝の上総万喜入城を通じて―」(佐藤博信編『中世房総と東国社会』岩田書院、2012年) ISBN 978-4-87294-739-7
  20. ^ a b 水野 2020.
  21. ^ a b 『千葉県の歴史 通史編 近世1』(2007年) 126頁
  22. ^ 『大多喜町史』(1991年) 482-483頁
  23. ^ , p. 18.
  24. ^ a b 『大多喜町史』(1991年) 483頁
  25. ^ 名将言行録
  26. ^ a b 黒糸威胴丸具足〈鹿角脇立兜・小具足付/(本多忠勝所用)〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2018年10月8日閲覧。
  27. ^ 杉本崇 (2015年1月9日). “天下の名槍「蜻蛉切」、11年ぶり公開 本多忠勝が愛用”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/articles/ASH172S5CH17UTPB001.html 2015年5月11日閲覧。 
  28. ^ 路蕪村悟道「蜻蛉切の作者はだれ」『刀剣と歴史』664-667号、日本刀剣保存会阪神支部、2005年。
  29. ^ 朝日新聞社編 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
  30. ^ 村上直「徳川四天王」『江戸幕府:その実力者たち』上巻、北島正元編、新人物往来社、1964年。
  31. ^ a b 『三河後風土記正説大全』巻42「池田之助討死 付 本田忠勝勇猛 并 石川数正不義の事」。同書巻43「本田平八郎忠勝勇猛 付 神君御陣替 并 秀吉神君を罷感事」。
  32. ^ 『戦国武将 群雄ビジュアル百科』(ポプラ社、監修:二木謙一
  33. ^ 「楽天社長・三木谷浩史、経営者としての原点は戦国武将!?『ファミリーヒストリー』」 テレビドガッチ2018.12.15 up
  34. ^ 「NHKドキュメンタリー - ファミリーヒストリー「三木谷浩史~経営者の原点」日本放送協会
  35. ^ 「楽天・三木谷会長の幼少期はやんちゃ坊主…母が明かす「怒られてもケロっとしていました」」2018年12月17日21時53分 スポーツ報知
  36. ^ 本多家廟屋”. 姫路市. 2021年1月12日閲覧。
  37. ^ 園内マップ”. 岡崎公園. 2010年1月27日閲覧。
  38. ^ 九華公園 - 本丸跡等”. 桑名市. 2010年1月27日閲覧。


「本多忠勝」の続きの解説一覧

本多忠勝

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内閣総理大臣 織田信長」の記事における「本多忠勝」の解説

織田内閣閣僚役職不明)で、新党のぶなが徳川所属

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本多忠勝(ほんだ ただかつ)

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SAKON(左近) -戦国風雲録-」の記事における「本多忠勝(ほんだ ただかつ)」の解説

関ヶ原の戦いにおける家康死の真相を知る数少ない将。その後秀忠行動不信感を持つ。

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本多忠勝(声:森岳志)

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決戦III」の記事における「本多忠勝(声:森岳志)」の解説

元康家康)の家臣であり、忠誠心は人1倍強い。武将系統は「猛将」で兵種騎馬を使う(長篠決戦のみ鉄砲足軽を使う)。

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本多忠勝(ほんだ ただかつ)

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テンカイチ 日本最強武芸者決定戦」の記事における「本多忠勝(ほんだ ただかつ)」の解説

本多流戦場槍術使い手異名は「古今独歩金剛石」または「金剛仁王」。大多喜城城主五十七度合戦で傷を一つとして受けたとがないと言われる誰もが認め猛将。名蜻蛉切得物とし片手軽々振るう後援者徳川家康

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本多忠勝(ほんだ ただかつ)

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センゴク」の記事における「本多忠勝(ほんだ ただかつ)」の解説

通称平八郎、後に中務大輔家康から友と信頼される重臣自身家康を「兄貴」と呼んで慕っている。血気盛ん豪快三河武士絵に描いたよう性格で、愛蜻蛉切」を振るい戦場でもその勇猛さ健在三方ヶ原の戦いでは山県昌景相手一本取る活躍見せ家康逃がしたその後天正壬午の乱でも兵力優る北条家相手にしても全く臆しておらず、逆に小牧・長久手の戦いでは士気の高さが殲滅戦となることを危惧した家康諫められた。織田信雄単独講和により豊臣家敗れたことを納得出来ておらず、家中では反豊臣派の急先鋒となっている(ただし家康思い理解しているため、無用な騒ぎ起こすようなことはな不平不満述べるに留まっている)。

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本多忠勝(ほんだ ただかつ)

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BRAVE10」の記事における「本多忠勝(ほんだ ただかつ)」の解説

徳川家康重臣で、清海匹敵するほどの巨漢。信幸の義理の父親。上田城十番勝負では信幸側の先鋒として出場

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本多忠勝

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タイムスリップ探偵団」の記事における「本多忠勝」の解説

家康の家臣

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本多忠勝

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新・信長公記〜ノブナガくんと私〜」の記事における「本多忠勝」の解説

クラス番号31湾岸四天王恐れられる一人上杉武田に次ぐ喧嘩最強名高い大柄な体格青年未だ喧嘩無敗はおろか怪我一つ負ったとがないという伝説がある。

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