大塚権太夫
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大塚 権太夫(おおつか ごんだゆう)は、安土桃山時代の武士。尾張国黒田城主一柳直盛の家臣。関ヶ原の戦いの前哨戦である米野の戦い(河田木曽川渡河の戦い)において、東軍の一番槍(敵陣への最初の突入)を果たしたものの、織田秀信家臣の飯沼長資に討たれた。
注釈
出典
- ^ 『一柳家記』(『続群書類従 第二十輯下』pp.480-482)。
- ^ 白峰旬 2021, pp. 46–47, 49–50.
- ^ 白峰旬 2021, p. 55.
- ^ a b 白峰旬 2021, pp. 47, 51.
- ^ 白峰旬 2021, pp. 51–52.
- ^ a b 白峰旬 2021, p. 47.
- ^ 白峰旬 2021, pp. 47, 51–52.
- ^ 白峰旬 2021, pp. 47, 52–53.
- ^ 白峰旬 2021, p. 54.
- ^ “48.常福寺と一柳氏”. 西条歴史発掘. 2023年1月4日閲覧。[信頼性要検証]
- ^ “関ケ原軍記”. 鈴木喜右衛門. p. 189/296コマ (1885年). 2023年1月4日閲覧。
- ^ “石川五右衛門伝記 : 古今実録 下巻”. 栄泉社. p. 19/59コマ (1886年). 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b c d e “大塚権太夫の塚”. ぎふの旅ガイド. 岐阜県観光連盟. 2022年1月4日閲覧。
- ^ a b c “飯沼勘平長資の墓”. ぎふの旅ガイド. 岐阜県観光連盟. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “米野の戦い跡”. 笠松町. 2022年1月4日閲覧。
- 1 大塚権太夫とは
- 2 大塚権太夫の概要
- 3 史跡
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