和田喜八郎とは? わかりやすく解説

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和田喜八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/30 08:33 UTC 版)

和田 喜八郎(わだ きはちろう、1927年 - 1999年9月14日)は、日本古物商[1]である。『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)や『東日流六郡誌』などの和田家文書の自称「発見者」であるが、近年は「制作者」との評価が定着している[2]


  1. ^ 安本美典編著『東日流外三郡誌「偽書」の証明』廣済堂出版 1993年、安本美典『虚妄の東北王朝』毎日新聞社 1994年、三上げんぽう編『だまされるな東北人』本の森 1999年、三上強二監修『津軽発「東日流外三郡誌」騒動』批評社 2000年、斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』(文庫版)新人物往来社 2009年、他
  2. ^ 阿川文正監修、遠藤聡明・金子寛哉・片山泰徳編著『金光上人関係伝記資料集』金光上人関係伝記資料集刊行会(浄土宗総本山知恩院内) 1999年、藤原明『日本の偽書』文藝春秋 2004年、原田実『トンデモ日本史の真相』文芸社 2007年、他
  3. ^ 古田武彦の追悼文「和田喜八郎氏に捧ぐ」(「『古田史学会報』34号)では「『寛政原本』だっていい」として探索の断念が述べられている。
  4. ^ 原田実「『東日流外三郡誌』偽作の現場を訪ねる」東奥日報2003年2月28日付夕刊 斎藤隆一「『東日流外三郡誌』問題の原点―和田喜八郎宅の検証―」『季刊邪馬台国』79号
  5. ^ 古田武彦「浅見光彦氏への“レター”に(『新・古代学』第8集)には「わたしはハッキリと、『東日流外三郡誌』は偽書ではない、と考えています。一種でも、偽作である、と考えたことはありません」と明記されている。
  6. ^ 古田武彦「『東日流外三郡誌』の冤罪を雪ぐ」『サンデー毎日』1993年6月13日号、「安本美典vs古田武彦両教授激突8時間」『サンデー毎日』1993年7月11日号
  7. ^ 安本美典「一九九三年十月に出るはずの寛政年間原本はどうなった?」『季刊邪馬台国』53号、原正壽「なぜ原本を出さないのか!?詐術にまみれた“三郡誌”騒動」『季刊邪馬台国』61号
  8. ^ 古田武彦・竹田侑子『東日流[内・外]三郡誌 ついに出現、幻の寛政原本!』オンブック、2008年
  9. ^ と学会『と学会年鑑AQUA 』楽工社、2008年、原田実「「寛政原本」の正体-『東日流外三郡誌』擁護論の自爆」『季刊邪馬台国』96号、原田実『トンデモ日本史の真相』前掲、斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』文庫版あとがき、前掲


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