司馬として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:26 UTC 版)
韓厥は幼少期に宰相の趙盾に養育され、紀元前620年に趙盾に推薦されて司馬となった。 紀元前615年の河曲の戦役の時、趙盾の家臣が軍令に違反したので、容赦なくこれを罰した。世人は韓厥を恩知らずだと非難し「終わりを全う出来ない」と言った。しかし趙盾は韓厥に「私は君を推挙したが、君に能力が足りない事を恐れて試したのだ」と言い、さらに「厥よ、つとめよ。 晋の国政を担うのは、君の他には居ない」と激励した。また趙盾は諸将に向かって「韓厥を推薦した事が当たりました」と言って大いに喜んだ。
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