古荘嘉門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/15 01:54 UTC 版)
古荘 嘉門(ふるしょう かもん、1840年12月25日〈天保11年12月2日〉[1] - 1915年〈大正4年〉5月11日[2])は、幕末の熊本藩士、明治から大正期の内務官僚・政治家。群馬県知事(官選第6代・第8代)、三重県知事(官選第11代)、衆議院議員(5期)、貴族院勅選議員。幼名・鶴喜[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本近現代人物履歴事典』453頁。
- ^ 『官報』第832号「帝国議会 貴族院」1915年5月13日。
- ^ 『明治新立志編』347頁。
- ^ a b c d 「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」96頁。
- ^ a b c 「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」94頁。
- ^ a b c d e 「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」95頁。
- ^ 「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」96頁、『日本近現代人物履歴事典』453頁では「諭旨免官」、『官報』第1756号(明治22年5月10日)では「依願免本官」である。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』563頁。
- ^ 「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」99頁。
- ^ 「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」101-103頁。
- ^ a b 『新編日本の歴代知事』285頁。
- ^ 『官報』第4524号、明治31年7月29日。
- ^ 『官報』第6417号、明治37年11月18日。
- ^ 『官報』第6738号、明治38年12月14日
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』160頁。
- ^ 『官報』第1183号「辞令」1887年6月10日。
- ^ a b 『官報』第1640号「叙任及辞令」1888年12月15日。
- ^ 『官報』第4621号「辞令」1898年11月24日。
- ^ 『官報』第4777号「帝国議会」1899年6月6日。
- ^ 『官報』第6738号「帝国議会」1905年12月14日。
- ^ 『官報』第6743号「辞令」1905年12月20日。
- ^ 『官報』第198号「叙任」1884年2月29日。
- ^ 『官報』第1756号「辞令」1889年5月10日。
- ^ 『官報』第3927号「叙任及辞令」1896年7月31日。
- ^ 『官報』第5547号「叙任及辞令」1901年12月27日。
- ^ 『官報』第832号「辞令」1915年5月13日。
- ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1896年5月15日。
- ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
- ^ 『官報』第5696号「叙任及辞令」1902年7月1日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第1252号「叙任及辞令」1916年10月2日。
- 1 古荘嘉門とは
- 2 古荘嘉門の概要
- 3 栄典・授章・授賞
- 古荘嘉門のページへのリンク