参謀局(明治7年-明治11年)
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「参謀本部 (日本)」の記事における「参謀局(明治7年-明治11年)」の解説
明治7年6月18日に「参謀局條例」が制定され、同日付で参謀局が設立された。これが日本の軍令機関独立の嚆矢である。この参謀局は、三宅坂に置かれて、陸軍省に隷属していた。参謀局長には将官が充てられた。 参謀科(兵科の一つとしておかれていた。)の将校は、或いは陸軍省内局に勤務していても、或いは外国派遣の公使に属していても(後の駐在武官)、皆参謀局に籍を置いており、局長は参謀科将校の進退等について全て関与していた。 第1課(総務課) 第2課(亜細亜兵制課):亜細亜洲(アジア州)各国兵制の課。 第3課(欧亜兵制課):欧羅巴(ヨーロッパ)、亜墨利加(アメリカ)兵制の課。 第4課(兵史課) 第5課(地図政誌課) 第6課(測量課) 第7課(文庫課)
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