内ゲバの元凶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/13 06:06 UTC 版)
「マルクス主義学生同盟」の記事における「内ゲバの元凶」の解説
1961年7月の全学連第17回大会において、マル学同は反マル学同の「つるや連合」(社学同諸派、革共同関西派、社青同)を実力で排除し、全学連における指導権を固めた。この際、マル学同は日本の新左翼史上初めてゲバ棒を使用しつるや連合を排除したが、これが後に凄惨な殺し合いにまで至る内ゲバ激化の元凶だとされることがある。 内ゲバ激化の責任については、後の中核派と革マル派の論争の一つとなった。中核派はマル学同が革マル派についたことを根拠に革マル派が内ゲバ体質であると非難し、革マル派は当時マル学同を指揮していた清水丈夫が中核派についたことを根拠に中核派が内ゲバ体質であると非難した。
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