共産党中央委へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:34 UTC 版)
「ユーリ・アンドロポフ」の記事における「共産党中央委へ」の解説
1957年、アンドロポフはモスクワに戻り、党中央委員会の社会主義諸国共産党・労働者党連絡部長に任じられる。また中ソ会談代表として中ソ論争に深い関わりを持つ。アンドロポフは、その職責の中にあってもハンガリーでの出来事を忘れることはなかった。ソ連の外交官オレグ・トロヤノフスキーによると、アンドロポフはハンガリー動乱について「あなた方は、それがどんな様子だったか到底想像できまい。何十万人もの人々が街にあふれ、完全に制御不能になっていた。」と語り、その後も折に触れ話し続けたという。その様子とは怒り狂った群衆が警官を殺害していた様子である。アンドロポフは、ソ連でそうした光景を目にすることを恐れ、それを防ぐために全力を尽くしていたと言われている。1961年の第22回党大会以降は中央委員となった。1962年には中央委員会書記に昇進した。
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