琴櫻傑將
(佐渡ヶ嶽慶兼 から転送)
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琴桜 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 - 2007年8月14日)は、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの鳥取県倉吉市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。第53代横綱。本名は鎌谷 紀雄(かまたに のりお)[1]。
注釈
- ^ 当時の中継でも「琴櫻、立てません」とアナウンスされ、傍目にも大怪我と分かる負傷だった。
- ^ 鳥取県出身者の大関は、明治時代に活躍した荒岩亀之助の引退以来58年ぶりだった。
- ^ 千秋楽翌日の朝日新聞1972年3月27日付朝刊スポーツ面では、場所の総評の大半は「無気力相撲」に関してのものであり、優勝した長谷川について全く触れていない。
- ^ 朝日新聞1973年1月6日付朝刊スポーツ面では場所の展望として「横綱がダメなら混戦」としつつ、琴櫻について「けいこからはそれほどの意欲がうかがえない」として、むしろ輪島や貴ノ花を優勝争いのキーマンと期待していた。
- ^ 三重ノ海・双羽黒光司と並ぶ横綱在位場所数の最短記録2位タイ(ただし番付上では双羽黒と同じく横綱在位9場所)。
- ^ 引退・白玉襲名から佐渡ヶ嶽部屋継承の流れが、場所前後のごく短い期間で行われたため、白玉として番付には載らず「琴櫻改メ 佐渡ヶ嶽 慶兼」と翌場所の番付には記載された。
- ^ 琴櫻は足のサイズが小さかった。
- ^ 右踝骨折・右膝関節脱臼により7日目から途中休場
- ^ 左第 5中足骨不全骨折により11日目から途中休場
- ^ 後頭部神経痛により6日目から途中休場
- ^ a b c 大関角番(全3回)
- ^ 腰部捻挫により6日目から途中休場
- ^ 左第 5指骨中足骨間関節開放性脱臼及び裂傷により3日目から途中休場
- ^ 北の富士と優勝決定戦
- ^ 左膝蓋骨不全骨折により6日目から途中休場
- ^ 根性坐骨神経痛・左膝蓋骨不全骨折後遺症により4日目から途中休場
- ^ 7月場所直前に引退を表明
出典
- ^ a b c d e f g h i ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p22
- ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p30-31
- ^ 中卒入門が既定路線も…「本当に意思固く」琴ノ若は自分と、そして祖父と向き合い高校進学を決断【新大関誕生連載(中)】 中日スポーツ 2024年1月31日 05時00分 (2024年1月31日閲覧)
- ^ NHK名作選 みのがしなつかし 琴櫻傑將
- ^ 朝日新聞1971年7月16日付朝刊スポーツ面
- ^ 朝日新聞1972年3月24日付夕刊
- ^ 朝日新聞1972年3月25日付朝刊スポーツ面
- ^ 朝日新聞1972年3月26日付朝刊スポーツ面
- ^ a b c 朝日新聞1973年1月23日付朝刊スポーツ面
- ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p63
- ^ 先代の琴櫻はなぜ「突然変異」の連続優勝&横綱昇進を果たせたのか…今も忘れない「昭和48年1月」最大の謎(3/4ページ) 現代ビジネス 2024.06.09 (文・堀井憲一郎、2024年6月9日閲覧)
- ^ a b 朝日新聞1974年7月5日付朝刊スポーツ面
- ^ 雑誌『相撲』2023年7月場所38ページ
- ^ 琴桜像の顔に下着 発見の市長カンカン 47news 2009/04/21 11:39
- ^ 桑原亮 (2015年1月29日). “石浦が新十両 鳥取県勢53年ぶり関取”. 日刊スポーツ 2018年12月12日閲覧。
- ^ 鈴木悟 (2015年10月7日). “佐渡ケ嶽親方の長男が入門!父「琴ノ若」→祖父「琴桜」継承の道”. スポニチ 2018年12月12日閲覧。
- ^ 小沼春彦「琴鎌谷改め琴ノ若、3代関取 父のしこ名継承「師匠と先代に追いつきたい」」『スポーツ報知』2019年5月30日。2024年4月30日閲覧。
- ^ 「大相撲 大関・琴ノ若が元横綱の祖父のしこ名「琴櫻」を襲名」『NHK』2024年4月30日。2024年4月30日閲覧。
- ^ 燃えよ!!明大中野相撲部
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2020年6月号(開催祈念号) 26頁
- ^ “倉吉市名誉市民”. 倉吉市. 2022年8月11日閲覧。
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