伊勢西条藩とは? わかりやすく解説

伊勢西条藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 10:13 UTC 版)

伊勢西条藩(いせにしじょうはん[注釈 1] / いせさいじょうはん[注釈 2] [注釈 3])は、伊勢国河曲郡西条村(現在の三重県鈴鹿市西条付近[3])を居所とした[3]徳川吉宗の側近である有馬氏倫が、1726年に加増を受け大名に取り立てられて成立した。歴代藩主は定府であり、領地は伊勢国・下野国・上総国に分散していた。伊勢領を管轄する陣屋はのちに同郡南林崎村(現在の鈴鹿市林崎・南林崎町付近)に置かれたため、南林崎藩(みなみはやさきはん[注釈 4])とも称される。1781年に上総領の五井に居所を移して以後は五井藩と呼ばれる。なお、南林崎村など伊勢国の領地の一部は廃藩置県まで有馬家(五井藩、のち下野吹上藩)領として存続する。


注釈

  1. ^ 日本郵政の郵便番号検索[1]によれば、鈴鹿市西条は「にしじょう」と読む。
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)の「五井藩」の項では、西条に「さいじょう」と読みを振っている[2]
  3. ^ 角川日本地名大辞典』によれば「西条藩」について「現在の地名は「にしじょう」であるが、「さいじょう」と通称されることが多い」とある[3]
  4. ^ 日本郵政の郵便番号検索[1]によれば、鈴鹿市南林崎町は「みなみはやさきちょう」と読む。
  5. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  6. ^ このほか古い書籍では、享保11年(1726年)の入封当初から設置[10]、元文年中(1736年 - 1741年)に移転[11]、明和年中(1764年 - 1772年)に移転[12]などの記述もされる。
  7. ^ 南林崎陣屋は明治9年の「伊勢暴動」の際に放火を受け炎上[8]、棚瀬家も襲撃されたという[13]

出典

  1. ^ a b 三重県鈴鹿市”. 郵便番号検索. 日本郵政. 2020年10月10日閲覧。
  2. ^ 川名登. “五井藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2020年10月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 西条藩(近世)”. 角川地名大辞典. 2020年10月10日閲覧。
  4. ^ a b c d 西条村(近世)”. 角川地名大辞典. 2020年10月10日閲覧。
  5. ^ 藤野保『近世国家解体過程の研究 前編 幕藩制と明治維新』(吉川弘文館、2006年)p.593
  6. ^ 五井村(近世)”. 角川地名大辞典. 2020年10月10日閲覧。
  7. ^ a b 五井藩(近世)”. 角川地名大辞典. 2020年10月10日閲覧。
  8. ^ a b c d 南林崎村(近世)”. 角川地名大辞典. 2020年10月10日閲覧。
  9. ^ 『四日市市史 第17巻』(四日市市、1988年)p.257
  10. ^ 伊藤清太郎 編 1936, p. 197.
  11. ^ 伊藤清太郎 編 1936, p. 197, 199.
  12. ^ 伊藤清太郎 編 1936, p. 99.
  13. ^ 林崎村(近代)”. 角川地名大辞典. 2020年10月10日閲覧。


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