介川通景とは? わかりやすく解説

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介川通景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:59 UTC 版)

介川 通景(すけかわ みちかげ、安永9年12月29日1781年1月23日) - 弘化4年10月16日1847年11月23日))は江戸時代久保田藩重臣。能代奉行や両右筆支配などを勤める。通称は亀治、東馬。は子明。は緑堂、静斎。石高は319石余。家格は最終的に廻座(宿老)。介川東馬で著名。子は介川通顕(作美)。秋田武鑑では介川将監の子孫としている。「秋田武鑑」製作当時の家格廻座の小野崎氏分流介川氏当主である。父は介川通遠。


  1. ^ 「秋田武鑑」の『諸役順列』に銅山奉行は当時勘定奉行より兼とある
  2. ^ 「三百藩家臣人名事典1」では大番頭とするが「秋田武鑑」では通景は大番頭の就任者に見えず、大番頭格である両右筆支配に見える。
  3. ^ 「秋田藩」研究ノート、金森正也、2017年、無明舎出版
  4. ^ 『秋田人名大事典』秋田魁新報社


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