人質の脱走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 06:25 UTC 版)
人質がイングランドにいる間、ジャン2世はフランスに戻って身代金を集めようとした。しかし、1362年にジャン2世の息子ルイ1世・ダンジューが虜囚地のイングランド領カレーから脱走してしまった。代わりの人質が逃げてしまったことにジャン2世は義務を感じ、イングランドにわたった。彼は捕虜のまま1364年に死去し、ドーファンのシャルルがシャルル5世としてフランス王に即位した。1369年、シャルル5世はエドワード3世がブレティニー条約を破ったとしてイングランドに再び宣戦布告した。 1377年にエドワード3世が死去するまでに、イングランド軍はフランス南西部のボルドー近くにまで押し込まれた。
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