井田武雄
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井田 武雄(いだ たけお、嘉永4年10月8日(1851年11月1日)[1] - 昭和8年(1933年)5月22日[2])は、日本の医師、実業家、政治運動家。号は陸舟。鳥取県西伯郡中浜村(現在の境港市)出身。四谷病院、後楽堂医院長[1]。東京府平民[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『人事興信録. 5版』(大正7年)い三
- ^ 『日本之醫界』第23巻第21号(日本之醫界社、1933年)p.43
- ^ 医師森納の著書『因伯洋学史話』に「明治元年その業を終え、カナダ政庁の需めに応じてその任に就く。蓋し邦医外聘の先鞭者たり(『鳥取県人物誌』昭和五年)とあるが、その時17歳であり、長崎養生所在籍のまま、恐らくは通訳としてか、医学、語学研修の無費留学生でもあったのであろう」とある。
- ^ 『日本人名大辞典』
- ^ 官報 1898年10月4日 四三頁
- ^ 坂田城 埋もれた古城
- ^ a b 『実業家人名辞典』(監修者・由井常彦、浅野俊光、1990年、イ六七頁)
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