二箇相承
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二箇相承(にかそうじょう)とは、1282年(弘安5年)、日蓮が、弟子の日興に宛てたとされる二通の書。二通をまとめて二箇相承といい、もともとは重須本門寺(北山本門寺)に伝えられたものであるが現在は日蓮の真筆は共に無く、写本のみが京要法寺、富士大石寺、西山本門寺等に伝えられている。またさまざまな異本が存在する。
注釈
- ^ その後、さらに北山本門寺へと帰伏した[1]。
- ^ 重須本門寺のこと
- ^ (日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 294)には、「重須本門寺に格護されていたところ、西山本門寺13世日春が〔略〕押収した。その後〔略〕西山本門寺の重宝と共に紛失した」とある(但し、漢数字は算用数字に改めた)。
- ^ 二箇相承のこと
- ^ (日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 1315)に、身延山の開山は宗祖、2世は日向とある。
出典
- ^ 井上博文 1981, p. 92.
- ^ 井上博文 1981, p. 91.
- ^ 井上博文 1981, pp. 90–91.
- ^ a b c 伝後藤庄三郎光次 n.d.コマ番号 = 33
- ^ a b 仏書刊行会 1915, pp. 165–166-コマ番号 = 87-88
- ^ 富士学林研究科 2006, pp. 7–8, 12.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 181-但し、身延山付嘱書の別名が別付嘱書・池上相承であること、二箇相承の一であること、別当退任の時期を除く。
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, p. 230-但し、日興が宗祖滅後7年間身延に住んだとすることのみ。
- ^ 宮崎英修 1978, p. 185.
- ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 294.
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