中島仰山
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中島 仰山(なかじま ぎょうざん、天保3年7月10日(1832年8月5日) - 大正3年(1914年)4月22日[1])は、日本の明治時代の絵師、一説に写真家。旧姓は船橋。通称は鍬次郎。同時代の関根雲停や増山雪斎に並び、博物図譜的な動物画を数多く残した。
- ^ 仰山の子孫が所持していた除籍簿の記載より(斉藤(1996)p.37)。
- ^ 「開成所伺等留 乾」(外務省引継書類之内三九)東京大学史料編纂所所蔵(倉沢剛 『幕末教育史の研究』)巻1,吉川弘文館、1983年1月、p.296)。
- ^ 石井研堂 「教育錦絵と画者仰山(下)」『明治文化』8-3、1935年3月11日。
- ^ 斉藤(1996)pp.39-40。
- ^ 渋沢栄一編 『昔夢会筆記』(平凡社〈東洋文庫〉、1966年、p.294)にある慶喜の回想より。慶喜はここで中島鍬次郎から油絵を学んだことや、中島は絵を専門に学んだ者ではなかっただろうと述べている。また、幕臣出身の洋画家・川村清雄も「静岡にいらした慶喜公は、写真と油絵がお好きで、いい油絵をお描きでした。中島という家従が油絵を描きまして、それについてお学びになりました」と語っている。
- ^ a b 村松弥幸 「植物写生画家 中島仰山」『養鶏之日本』。村松は仰山の近縁。
- ^ 「明治八年博物館掛人名調書」『東京国立博物館百年史』 東京国立博物館編集・発行、1973年、p.118。
- ^ 『東京国立博物館百年史』p.248。
- ^ 「第一回内国絵画共進会出品目録」(『明治美術基礎資料集』 東京国立文化財研究所、1975年、p.58)。
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