下総山川藩とは? わかりやすく解説

下総山川藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 19:46 UTC 版)

下総山川藩(しもうさやまかわはん)は、江戸時代前期に下総国結城郡の「山川」と呼ばれる地域(現在の茨城県結城市南部一帯)に所在した。藩庁は新宿村の山川城(山川綾戸城とも。現在の結城市山川新宿)。徳川家康の甥である松平定綱久松松平家。のち伊勢桑名藩主)や、家康の従弟にあたる水野忠元水野忠邦の家の祖)が入封した。1635年に水野家が転出し廃藩となる。


注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 関ヶ原の戦いの時期に下野山川城主(下野山川藩参照)であったという山川朝信を「常総地方」で2万石の領主であったとする書籍もある[4]
  3. ^ 松平定勝は於大の方(伝通院)の子で、徳川家康の異母弟である。このため、定綱は家康の甥にあたる。定綱(幼名は亀松)は幼少期に他家(荒川家)に養子に出ており、慶長4年(1599年)に養父が死去した際、荒川家は定綱に跡を継がせる願いを出したが、家康が「定勝の子がなぜ他人の跡を継ごうとするのか、成長ののちに別に領知を与えよう」として荒川家を継がせなかったという経緯がある。慶長7年(1602年)に定綱は11歳で家康に御目見、次いで秀忠にも御目見し、江戸城で仕えることとなった[6]
  4. ^ 国民図書版は「五十石」と誤って翻刻している[6]国会図書館蔵の写本を見ると「五千石」であることが確認できる。
  5. ^ 『寛政譜』では単に元和2年(1616年)とする[10]。元和元年(1615年)ともいう[8]
  6. ^ 寛政重修諸家譜』では転封時期や知行地の記載が曖昧である。『寛政譜』によれば下総山川への入封前にも相模国内で知行地を得ているが、石高等は不明[11]。大坂の陣後、下野国山川・結城・鹿沼・板橋ならびに近江国で3万5000石を与えられたとある[11]。本文で「下野国山川」とされる知行地について、「今の呈譜」では下総国山川とあると補足している[11]
  7. ^ 於大の方(伝通院)の兄弟・水野忠守の子。
  8. ^ 『丕揚録』では下総国結城郡、下野国芳賀郡・都賀郡・河内郡のほか、常陸国河内郡、武蔵国足立郡などにも所領があったという[8]
  9. ^ 日光街道大沢宿付近に設けられた大沢御殿。
  10. ^ 忠善は井上正就の娘を正室に迎えている[11]
  11. ^ 下総山川藩→駿河田中藩→三河吉田藩→三河岡崎藩(ここまで2代忠善)→肥前唐津藩(8代忠任)→遠江浜松藩(9代忠邦)→出羽山形藩(10代忠精)→近江朝日山藩(11代忠弘。廃藩)
  12. ^ 忠邦の跡を継いだ水野忠精は1884年(明治17年)没。

出典

  1. ^ a b c d 山河荘(中世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年9月27日閲覧。
  2. ^ 92 山川綾戸城跡”. 結城百選. 結城市. 2022年9月28日閲覧。
  3. ^ 94 山川沼”. 結城百選. 結城市. 2022年9月28日閲覧。
  4. ^ 第三編>第一章>第一節 進駐してきた領主たち>関ケ原の戦いと常総の大名の転封”. 石下町史. 2022年9月28日閲覧。
  5. ^ a b c d e 新宿村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年9月27日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』巻五十五「松平」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.293
  7. ^ a b c d e f 渡辺憲司 1977, p. 66.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 山川藩(近世)[茨城県]”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年9月27日閲覧。
  9. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻五十五「松平」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』pp.293-294
  10. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻五十五「松平」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.294
  11. ^ a b c d e f g h i j 『寛政重修諸家譜』巻三百三十三「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.859
  12. ^ a b 豊烈神社について”. 豊烈神社. 2022年9月28日閲覧。
  13. ^ a b 水野越前守忠邦の墓”. 茨城県教育委員会. 2022年9月28日閲覧。
  14. ^ a b 水野越前守忠邦の墓”. 結城市. 2022年9月28日閲覧。
  15. ^ a b 山川水野家墓所”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2022年9月28日閲覧。
  16. ^ a b 『壬生町史 通史編1』 1990, p. 531.
  17. ^ 『壬生町史 通史編1』 1990, p. 548.


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