上杉憲将とは? わかりやすく解説

上杉憲将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 05:42 UTC 版)

上杉 憲将(うえすぎ のりまさ)は、南北朝時代武将


  1. ^ 片桐昭彦 「山内上杉氏・越後守護上杉氏の系図と系譜」(『中世武家系図の史料論』下巻、高志書院、2007年)収録。15世紀から16世紀にかけて作成され、上杉系図の中では最も早期に成立したものとされる。
  2. ^ 「上杉系図大概」等上杉系図では憲将の子は久庵一子のみとされるが、『山吉家家譜』では山吉義長(同系譜では別名久盛とされる)の母が憲将の娘とされている。ただし、山吉氏の系譜を考察している『三条市史上巻』(1993年、三条市史編修委員会)などは、戦国時代以前の山吉家の系譜の記事は信憑性がないとしている。
  3. ^ 上杉家文書」『南北朝遺文』関東編1384号
  4. ^ 『三条市史 上巻』120頁。
  5. ^ 「醍醐寺報恩院所蔵古文書録乾」、「富士文書」『南北朝遺文』関東編1952、1954号
  6. ^ 佐藤進一『室町幕府守護制度の研究-南北朝期諸国沿革考証編 上』(東京大学出版会、1967年、1988年)
  7. ^ 吉川町、現上越市
  8. ^ 『上越市史通史編2 中世』118頁
  9. ^ 赤澤計眞『越後上杉氏の研究』(高志書院、1999年)。なお、越後佐味庄の遵行を下達した正平19年/貞治3年(1364年)7月5日付道昌(上杉憲顕)施行状案(「西大寺文書」)の名宛人「兵庫頭殿」には「嫡子守護代」の肩注があり、貞治4年(1365年)3月6日の越後国分寺の遵行の道昌書状案(「醍醐寺文書」)の名宛人も兵庫頭憲将となっており、『室町幕府守護制度の研究 上』では憲将を越後守護代としている。


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