谷川岳
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谷川岳(たにがわだけ)は、群馬県利根郡みなかみ町と新潟県南魚沼郡湯沢町の県境(上越国境)にある山。山頂部はトマの耳(標高1,963 m)とオキの耳(標高1,977 m)の二峰に分かれた双耳峰となっている[1]。日本百名山、新日本百名山、ぐんま百名山、越後百山、新潟100名山、関東百名山、甲信越百名山、新日本旅行地100選の一つ。
出典
- ^ 新潟県側の麓からは茂倉岳に遮られて直接は仰望できないため、富士山の呼び名をオジカ沢ノ頭に比定する資料もある
- ^ a b c d e f g 松倉一夫『ネイチャーハイク入門』JTBパブリッシング、146頁。
- ^ a b 深田久弥『日本百名山』新潮社、1964年。
- ^ 『日本の名山4 谷川岳』博品社、1997年9月15日、35頁。
- ^ “新潟県管内地図”. ほんぽーと 新潟市中央図書館. 2024年5月5日閲覧。
- ^ a b c 谷川岳登山の留意点 - 群馬県、2017年4月閲覧
- ^ 現地の説明板より
- ^ a b 『町誌みなかみ』町誌みなかみ編纂委員会、1964年。
- ^ a b c d e f g 朝日新聞前橋支局 編『谷川岳』朝日ソノラマ、1974年。
- ^ a b c d e “谷川岳に因む歴史情報”. 谷川岳エコツーリズム推進協議会. 2024年4月27日閲覧。
- ^ 船石吉平 (1940). “鐵道省信濃川送電線路建設工事に就いて”. 電氣學會雜誌 60巻622号 .
- ^ 羽根田治『山岳遭難の傷痕』山と渓谷社、2020年 P164.
- ^ a b c 『山岳 第十六年 第三号』日本山岳会、1921年 。
- ^ “7月2日は「谷川岳の日」”. みなかみ山岳ガイド協会. 2023年12月8日閲覧。
- ^ “谷川岳”. ヤマケイオンライン. 2024年5月5日閲覧。
- ^ 慶應義塾大学山岳部部誌『登高行』(1929年7月発行)より。
- ^ 羽根田治『山岳遭難の傷痕』山と渓谷社、2020年 P164-165.
- ^ 羽根田治『山岳遭難の傷痕』山と渓谷社、2020年 P165-167.
- ^ “みなかみ町の自然と暮らし”. みなかみ町. 2023年12月8日閲覧。
- ^ 『山と渓谷 2021年6月号 No.1036』山と渓谷社、2021年6月1日。
- ^ 『山岳 第25年3号』日本山岳会、1930年、189頁。
- ^ “コトバンク - 中島喜代志”. コトバンク. 2024年5月30日閲覧。
- ^ a b c d e 『魔の山に生きる』講談社、1958年。
- ^ “群馬県警察略年表”. 群馬県警察. 2024年5月5日閲覧。
- ^ 「遭難救助に羽ばたく谷川岳の小さな勇者 伝書バト」『毎日新聞』、1959年7月12日、夕刊。
- ^ “天皇陛下が60歳の誕生日。幼少期からの歩みを画像集で振り返る”. ハフポスト. 2024年5月30日閲覧。
- ^ “谷川岳遭難者慰霊祭”. 利根沼田総合案内システム. 2024年5月30日閲覧。
- ^ 戦前、戦後に於ける谷川岳の遭難について - 草加山の会、2017年4月閲覧
- ^ a b 『クルマで行く山あるき 関東周辺 大人の遠足BOOK』JTBパブリッシング、2013年3月、93頁。ISBN 9784533090448。
- ^ 春日俊吉「光栄ある敗北(谷川岳幕岩)」『山の遭難譜』二見書房、1973年、P111-118.
- ^ 杉本光作『私の山 谷川岳』中央公論社(中公文庫)、1983年、pp.189-205.
- ^ 杉本光作『私の山 谷川岳』中央公論社(中公文庫)、1983年、pp.214-218.
- ^ 杉本光作『私の山 谷川岳』中央公論社(中公文庫)、1983年、pp.248-283.
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