ワルテル・カーザグランデとは? わかりやすく解説

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ワルテル・カーザグランデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 02:20 UTC 版)

ワルテル・カーザグランデ
名前
ラテン文字 Walter Casagrande Jr
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1963-04-15) 1963年4月15日(60歳)
出身地 サンパウロ
身長 191cm
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1981 コリンチャンス
1981 カルデンセ (loan)
1982-1983 コリンチャンス
1984 サンパウロ (loan)
1985-1986 コリンチャンス
1986-1987 ポルト
1987-1991 アスコリ
1991-1993 トリノ
1993 フラメンゴ
1994 コリンチャンス
1995 パウリスタ
1996 サンフランシスコ
代表歴
1985-1986 ブラジル [1] 19 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ワルテル・カーザグランデポルトガル語: Walter Casagrande,Jr.1963年4月15日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。卓越したボールコントロールとテクニックを持ち、長身でヘディングに強く、ペナルティエリアで脅威となった[2]。現在は、ブラジルのグローボ局で解説を務める。

経歴

コリンチャンスの下部組織を経て、1980年に17歳でトップチームにデビューした[2]カルデンセサンパウロにレンタルに出されたこともあったが、公式戦256試合で102得点を挙げた[2]

1986-87シーズンにFCポルトへ移籍、怪我で殆どプレー出来ず、優勝したUEFAチャンピオンズカップ決勝でもベンチ入りするのがやっとだった[2]。1987-88シーズン、アスコリへと移籍した。入団会見では、ヒッピーの様な姿で人々から驚かれた[2]。10月11日のエンポリ戦で初得点を挙げた[2]。アスコリでの4シーズンで96試合に出場、38得点を挙げた[2]。1991-92シーズンからトリノへ移籍、このシーズンのユヴェントスとのダービーで2得点を決めるなど、リーグ3位に貢献した[2]。また、このシーズンのUEFAカップではゴールを量産、決勝進出に貢献した[2]。翌1992-93シーズンもトリノでプレーし、コッパ・イタリア優勝を果たした[2]

1982年のワールドカップ・スペイン大会の代表候補となったが、ピッチ外での荒れた生活の影響もあって、本大会のメンバーから外れた[2]。その後3年間召集されずにいたが、1985年に再び召集されると、カレッカとのコンビで活躍し、1986年のワールドカップ・メキシコ大会のメンバーに召集され、3試合に先発するも結果を残せず、以降は起用されなかった[2]。代表では19試合に出場し、8得点に終わった[2]

エピソード

2013年6月5日、自動車強盗の被害に遭った[3]

タイトル

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