ロニー・ピーターソン(スウェーデン)
1960年代序盤にカートを始め、数々のタイトルを得たあと、66年に自製マシンでF3にステップアップ。68年にはテクノに乗り換えて国内チャンピオンに輝くと同時にモナコのF3GPも制覇。この活躍が認められてテクノのF2をもドライブ。69年にはマーチ・ワークスに抜擢されF2に参戦。デビュー戦で3位入賞を果たしている。翌70年はF2に加えて、F1にも参戦。デビュー戦のモナコで7位完走を果たして注目を集める。彼はモナコを得意とし、翌年は2位、73年は3位、74年には優勝を飾っている。マシンを振りまわすようにドライブするところから、サイドウェイ・ロニー(横っ走りのロニー)と呼ばれたが、78年イタリアGPでのアクシデントから、帰らぬ人となった。F1通算123戦10勝、シリーズのベストは71年と78年の2位。
ロニー・ピーターソン
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ベンクト・ロニー・ピーターソン(Bengt Ronnie Peterson, 1944年2月14日 - 1978年9月11日)は、スウェーデン・エレブルー出身のレーシングドライバー。名字は母国語での発音に基づき「ペテルソン」「ペターソン」「ペタソン」などと表記されることもある。
- ^ a b Naoki Kaneko「ロニー・ピーターソン、夢の途上」『F1 Modeling』第23巻、山海堂、2005年、9頁。
- ^ Naoki Kaneko「時代をつかんだ、ロータスの真骨頂」『F1 Modeling』第23巻、山海堂、2005年、8頁。
- ^ シド・ワトキンス 著、小川秀樹/阪上哲 訳『F1一瞬の死 F1専属医が見た生と死の軌跡』WAVE出版、1997年、50頁。ISBN 487290012X。
- ^ 『F1一瞬の死 F1専属医が見た生と死の軌跡』、52頁。
- ^ 『F1一瞬の死 F1専属医が見た生と死の軌跡』、55-56頁。
- ^ 『F1倶楽部 [特集]レーサーの死』双葉社、1995年10月、28-29頁。
- ^ 「驚愕ドライビング構造論」『Racing on 第477号 [特集]ロニー・ピーターソン “スーパースウェード”の真実』三栄書房、2015年7月、20-26頁。
- ^ スウェーデンのキャンピングトレーラーメーカー(公式サイト)
- ^ エリクソン「ピーターソンと同じヘルメットで走れて誇らしい」 - オートスポーツweb 2014.05.23
- 1 ロニー・ピーターソンとは
- 2 ロニー・ピーターソンの概要
- 3 人物
- 4 レース戦績
- 5 脚注
固有名詞の分類
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