2002年フランス大統領選挙
ルペン・ショック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 14:48 UTC 版)
「2002年フランス大統領選挙」の記事における「ルペン・ショック」の解説
ルペンが決選投票に進んだことはフランス社会に留まらず、国際社会に強い衝撃を与えた。敗北したジョスパン首相は直ちに政界引退を発表した。 フランス各地では、ルペン当選阻止を訴える大規模な街頭デモが行われた。デモは第一回投票の結果が判明した4月21日夜に始まり、日を追うごとに参加者は増え続けた。5月1日のメーデーには、フランス全土で130万人、うちパリでは40万人(ともに内務省発表)が反ルペンのデモに参加した。一方同じ日に行われた国民戦線の集会「ジャンヌ・ダルク祭」には2万人のルペン支持者が集まった。 左派の支持者にとって、極右のルペンを落選させるためとはいえ、これまで対立していたシラクに投票するというのは苦渋の決断であった。嫌々ながらの投票であることを示すために鼻を洗濯ばさみでつまんで投票しよう、という呼びかけも行われたが、投票所内で自らの投票内容を明らかにすることは禁じられているため、このような行為は厳密には違法である。決選投票直前には「ペテン師に投票せよ、ファシストではなく」(Votez escroc, pas facho)という標語が登場した。
※この「ルペン・ショック」の解説は、「2002年フランス大統領選挙」の解説の一部です。
「ルペン・ショック」を含む「2002年フランス大統領選挙」の記事については、「2002年フランス大統領選挙」の概要を参照ください。
- ルペン・ショックのページへのリンク