ルイス・モンティとは? わかりやすく解説

ルイス・モンティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 05:45 UTC 版)

ルイス・モンティ
1934年のモンティ
名前
本名 ルイス・フェルナンド・モンティ
Luis Fernando Monti
愛称 ドブレ・アンチョ
ラテン文字 Luis MONTI
基本情報
国籍 アルゼンチン
イタリア
生年月日 (1901-05-15) 1901年5月15日
出身地 ブエノスアイレス
没年月日 (1983-09-09) 1983年9月9日(82歳没)
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1919-1921 ウラカン
1921-1927 サン・ロレンソ
1927-1931 ボカ・ジュニアーズ
1931-1938 ユヴェントス 225 (20)
代表歴
1924-1931 アルゼンチン 16 (5)
1932-1936 イタリア 18 (1)
監督歴
1939-1940 トリエスティーナ
1940-1941 ユヴェントス
1942-1943 ヴァレーゼ
1944 ヴァレーゼ
1945-1947 アタランタ
1947 ヴィジェーヴァノ
1947-1948 ウラカン
1949-1950 ピサ
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1928 アムステルダム サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイス・フェルナンド・モンティLuis Fernando Monti, 1901年5月15日 - 1983年9月9日)は、アルゼンチン出身のサッカー選手、サッカー指導者。アルゼンチン代表としてFIFAワールドカップ 1930年大会に出場したのち、イタリア代表として1934年大会に出場して優勝した。ワールドカップ決勝に異なるチームでそれぞれ出場したことがある史上唯一の人物である[1]

経歴

アルゼンチン

ボカ・ジュニアーズでプレイしていた1924年に初めて代表チームに招集された。1927年南米選手権で優勝、1928年アムステルダムオリンピックで銀メダルを獲得。1930年ワールドカップ・ウルグアイ大会では4試合すべてに出場した。モンティは準決勝のアメリカ合衆国戦で2ゴールを挙げ、アルゼンチンは決勝に進出したが、ウルグアイに2-4で敗れた。

イタリア

1931年にイタリアのビッグクラブユヴェントスFCと契約を結んだ。当初、彼は太りすぎて本調子ではなかったが、一ヶ月の個別練習を経て調子を取り戻すと、1932年から1935年まで4シーズン連続のリーグタイトル獲得に貢献した。セリエAでは通算225試合に出場して19ゴールを挙げた。

1932年にイタリア代表に招集され、ホスト国として迎えた1934年ワールドカップ・イタリア大会で優勝した。モンティは再試合を含む5試合すべてに出場した。

大荒れに荒れた事によって記憶される、1934年11月14日のイングランドとの親善試合バトル・オブ・ハイベリー英語版では、開始わずか2分で足を折られて退場した。

代表歴

脚注

  1. ^ なお現在の規定では禁止されているが異なる二か国でW杯へ出場した選手はフェレンツ・プスカシュ(ハンガリーとスペイン)がいる。




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