ビューエル軍時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 07:06 UTC 版)
「ウィリアム・ヘイズン」の記事における「ビューエル軍時代」の解説
1861年4月、サムター要塞の戦いによって南北戦争が幕を切って落とされると、ヘイズンはほどなくして北軍第8歩兵隊の大尉に昇進し、1861年10月29日には第41オハイオ歩兵隊の大佐となった。ドン・カルロス・ビューエル少将配下としてオハイオ軍の1個旅団の指揮権を与えられたヘイズンは、1862年1月に進軍を開始した。はじめて参加した大規模戦闘はシャイローの戦いである。この戦いでは、ビューエル軍は2日め(1862年4月7日)に戦場に到着し、北軍の勝利を決定付けた南軍に対する反撃に間に合っている。1862年秋、引き続きビューエルの指揮下でペリービルの戦いに参加。この戦闘ののち、ビューエルは解任され、ヘイズンの旅団はウィリアム・ローズクランズ少将の第14軍団(後のカンバーランド軍)に編入された。
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