ビジャ・デ・ラ・ベガとは? わかりやすく解説

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スパニッシュ・タウン

(ビジャ・デ・ラ・ベガ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/21 03:27 UTC 版)

スパニッシュ・タウン
Spanish Town
位置
位置
スパニッシュ・タウン
スパニッシュ・タウン (ジャマイカ)
スパニッシュ・タウン
スパニッシュ・タウン (カリブ海)
スパニッシュ・タウン
スパニッシュ・タウン (大アンティル諸島)
座標 : 北緯17度59分45秒 西経76度57分18秒 / 北緯17.9959度 西経76.9551度 / 17.9959; -76.9551
歴史
創設 1534年
行政
ジャマイカ
  ミドルセックス郡
 教区 セント・キャサリン教区
スパニッシュ・タウン
人口
人口 (2009年現在)
  域 158,458人
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 なし
市外局番 876
公式ウェブサイト : [1]

スパニッシュ・タウンSpanish Town)は、16世紀から19世紀の間の、スペイン領および英国領時代のジャマイカの首都で、英国国外の最古の聖公会の教会がある。

1534年、スペイン人は、植民地の首都として、ビジャ・デ・ラ・ベガを建設する。後に、それはサンティアゴ・デ・ラ・ベガと呼ばれた。先住民のタイノ族がこの地に住んでいたが、ジャマイカ島南部では最初のヨーロッパ人の居住地となる。1655年に英国がジャマイカを占領した時、スパニッシュ・タウンと改名した。この町が戦争による激しい被害を受けてから、英国統治が開始される間にはポート・ロイヤルに非公式な首都としての機能を移す。1692年、ポート・ロイヤルが地震によって壊滅し、再びスパニッシュ・タウンに首都を建設した。

町の中央には、ロドニー記念館や、1872年までの知事の住居など、いくつかの古い様式の建物がある。かつて世界遺産暫定リストに記載されていたことがあり、1988年の世界遺産委員会で審議もされたが、登録は見送られた[1]。2015年時点での暫定リストからは除外されている[2]

スパニッシュ・タウンの人口は148,845人で、急激に増えており、そのため都市の暴力と犯罪が目に見えて増加している。政府による暴力を止めるための施策はどれもうまくいっていない。知事レイモス・ノーティスは、スパニッシュ・タウンの問題は十分な仕事と教育の機会ではなく、多すぎる銃にある、と発言した。

脚注




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