パルデン・トンドゥプ・ナムゲル
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パルデン・トンドゥプ・ナムゲル(Palden Thondup Namgyal、シッキム語: དཔལ་ལྡན་དོན་དྲུཔ་རྣམ་རྒྱལ、ワイリー表記:dpal-ldan don-grub rnam-rgyal、1923年5月22日 - 1982年1月29日)は、シッキム王国(ナムゲル朝)の第12代君主(在位:1963年 - 1975年)。最後の君主でもある。日本語表記としては、「パルデン・トンドゥプ・ナムギャル」もある。
- ^ Coelho(1970)、日本語版75頁
- ^ 落合(1986)、147頁。Coelho(1970)、日本語版60-63頁
- ^ 落合(1986)、155-157頁。Coelho(1970)、日本語版60頁
- ^ Coelho(1970)、日本語版75-76頁
- ^ 落合(1986)、173-178頁、187頁。
- ^ 落合(1986)、178頁
- ^ 落合(1986)、235頁、248-251頁
- ^ 落合(1986)、265頁
- ^ 落合(1986)、265-267頁
- ^ レプチャ・ブティヤ系に7議席、ネパール系に7議席、指定カースト、ツォン族、僧院、一般に各1議席。この他に国王指名議席6議席。落合(1986)、232-233頁
- ^ 落合(1986)、268-270頁
- ^ この時、パルデン・トンドゥプの長男テンジンがデモ隊に発砲し、負傷者を出すという失態を犯している。ただし首都のデモ自体は鎮圧に成功しており、カジ・レンドゥプ・ドルジらSNC・SJCの指導者たちはデモ隊を見捨ててインディア・ハウス(駐シッキムインド行政官公邸)に逃げ込んだ。落合(1986)、271-272頁
- ^ これら動向の詳細については、落合(1986)のXIを参照。
- ^ それまでのコミュナル選挙制度は廃止され、インド型の単純小選挙区制が導入された。落合(1986)、300-301頁
- ^ 「シッキムの王制廃止、完全併合」『世界週報』1975年4月29日・5月6日合併号、12頁
- ^ 落合(1986)、351頁による。『世界週報』同上は「9日」としている。
- ^ 『世界週報』同上。賛成59,637票、反対1,496票であった。
- ^ これら動向の詳細については、落合(1986)のXII、XIIIを参照。
- ^ The New York Times, January 30 1982. [1]
- 1 パルデン・トンドゥプ・ナムゲルとは
- 2 パルデン・トンドゥプ・ナムゲルの概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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