パピール・ファブリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 20:26 UTC 版)
パピール・ファブリックは1872年(明治5年)京都府営の製紙工場として企画され、1876年(明治9年)、京都梅津の桂川の畔で開業した製紙会社。日本の製紙業黎明期の6社[注釈 1]の一つ。パピール・ファブリックとはドイツ語で製紙工場(Papierfabrik)の意で設立にはドイツ人が大きく関わってはいたが、京都府営の工場で外国資本は入っていない。1880年(明治13年)民間に払い下げられ磯野製紙場、梅津製紙会社、富士製紙京都工場と変遷し、1924年(大正13年)旧王子製紙に吸収され王子製紙京都工場、1950年(昭和25年)には日本加工製紙京都工場となり1971年(昭和46年)まで稼働していた[1]。
注釈
出典
- ^ a b 五十嵐1996、80-92頁。
- ^ 京都市・日本最古の洋紙製紙場跡
- ^ a b 成田1959、1-52頁。
- ^ 京都市上京区役所・東京遷都と京都の復興
- ^ 五十嵐1996、80-81頁。
- ^ 成田1959、45頁。
- ^ 成田1959、37頁。
- ^ a b c 五十嵐1996、83頁。
- ^ a b c d e f 創業期の日本洋紙製造業神山恒雄、明治学院大学『経済研究』第130号、2004年7月
- ^ a b c d 梅津製紙場『山本覚馬』青山霞村 著 (同志社, 1928), p139-
- ^ 成田1956、79-80頁。
- ^ 五十嵐1996、82頁。
- ^ 成田1959、38頁。
- ^ a b c 田中1941、86-91頁。
- ^ a b c 五十嵐1996、87-88頁。
- ^ 五十嵐1996、89頁。
- ^ 成田1959、45-48頁。
- ^ 国会図書館レファレンス事例詳細梅津製紙所及びその設立に携わったドイツ人の事について
- ^ 紙の博物館ひっそりと昔を語る『パピールファブリックの門扉』
- 1 パピール・ファブリックとは
- 2 パピール・ファブリックの概要
- 3 大資本会社の一工場へ、そして現代
- パピール・ファブリックのページへのリンク