ショヤコウジ兄弟の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 08:40 UTC 版)
ショヤコウジ兄弟の戦い(-きょうだいのたたかい)は、1515年または1519年[1]に北海道南部で発生した、アイヌ首長・ショヤコウジ(庶野訇峙[2])兄弟と蠣崎光広との戦いである。
- ^ 『新羅之記録』(1646年成立)では永正12年(1515年)とするが、『松前家譜』(1643年)や『松前系図全』(1644年)では永正16年(1519年)5月としている。また『新羅之記録』ではショヤコウジ兄弟の騙し討ちを6月22日の出来事とする。
- ^ ショヤコウシと読む説もある。また兄の名前をショヤ、弟の名前をコウジ(またはコウシ)とする説もある。
- ^ 『新羅之記録』では蠣崎氏の大館入城を永正11年(1514年)6月27日とし『松前系図全』でも同年(月日なし)の出来事とするが、『松前家譜』では永正15年(1518年、月日なし)とある。なお『松前家譜』および『松前系図全』では大館陥落に関する記載が見られない。
- 1 ショヤコウジ兄弟の戦いとは
- 2 ショヤコウジ兄弟の戦いの概要
- 3 ショヤコウジ兄弟の蜂起
- 4 参考文献
固有名詞の分類
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