ゴダールとの共同製作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:36 UTC 版)
「D・A・ペネベイカー」の記事における「ゴダールとの共同製作」の解説
1960年代初期、ペネベイカーはフランス・パリに滞在中、シャイヨ宮のシネマテーク・フランセーズでヌーヴェルヴァーグの映画作家ジャン=リュック・ゴダールと出会い、映画を共同製作する話が持ちあがった。ゴダールは即座に準備することが可能で、リーコックとペネベイカーもすぐ撮影にとりかかるつもりであったが、結局頓挫してしまった。 数年後、ゴダールのオファーで再び話が持ちあがる。今回は、アメリカの公共テレビ局PBSも出資に合意した。ヴェトナム反戦運動や五月革命がパリで起きたように、カリフォルニア州でも起きるというゴダールの主張で、アメリカのバークレーやニューヨークで撮影が行われた。この映画は当初、ゴダールにより『One A.M.』というタイトルがつけられた。。日本では、このタイトルを訳した『ワン・アメリカン・ムービー』(日本未公開)という名で知られている。ただし日本以外では、その後に改題した『One P.M.』ないしは『1PM』というタイトルで知られている。
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