コンスタンティノス11世パレオロゴス
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コンスタンティノス11世パレオロゴス・ドラガセス(コンスタンティノス11せいパレオロゴス・ドラガセス、ギリシャ語: Κωνσταντίνος ΙΑ' Παλαιολόγος Δραγάσης, ラテン文字転写: Kōnstantinos XI Palaiologos Dragasēs、1405年2月9日 - 1453年5月29日[1])は、東ローマ帝国パレオロゴス王朝の皇帝(在位:1449年 - 1453年)。東ローマ帝国最後、すなわちローマ帝国最後の皇帝である。中世ギリシア語読みではコンスタンディノス11世ドラガシス・パレオロゴス。後述する数え方の違いから「12世」や「13世」と呼ぶこともある。
注釈
- ^ 山口謠司は著書『となりの漱石』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2015年)において「オタンチン・パレオロガス」という章を設けているが、「一部の書物などには東ローマ帝国最後の皇帝であると記されているが、もちろん嘘である。パレオロガスという姓を持つ皇帝はもちろんいたが、オタンチンという名を持つ人はいない」とし、「オタンチン・パレオロガス」は「造語」であるとしている。
出典
- ^ Constantine XI Palaeologus Byzantine emperorNero Roman emperor Encyclopædia Britannica
- ^ Nicolle; Haldon; Turnbull (2007). The Fall of Constantinople: The Ottoman Conquest of Byzantium. Osprey Publishing. pp. 227-228
- ^ 夏目漱石『吾輩は猫である』(改訂第1刷)岩波書店〈岩波文庫〉、1990年4月16日、166頁。ISBN 4-00-310101-4。
- ^ a b c 久野昭「漱石の揶揄」『かわら版 哲学たいけん』第35号、碧南市哲学たいけん村 無我苑、2014年3月1日、2022年8月13日閲覧。
- ^ a b c 益田朋幸「閉会の挨拶」『総合人文科学研究センター研究誌 WASEDA RILAS JOURNAL』第3号、2015年10月、2022年8月13日閲覧。
- ^ 村田由美. “〈7〉漱石の略式結婚”. 熊本市西区. 2022年9月2日閲覧。
- 1 コンスタンティノス11世パレオロゴスとは
- 2 コンスタンティノス11世パレオロゴスの概要
- 3 生涯
- 4 評価
- 5 コンスタンティノス12世、13世説
- 6 参考文献
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