もう一人のコンスタンティノス・パレオロゴス
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「コンスタンティノス11世パレオロゴス」の記事における「もう一人のコンスタンティノス・パレオロゴス」の解説
皇帝コンスタンティノス11世は、「コンスタンティノス・パレオロゴス」の名前を持つマヌエル2世の息子としては2人目になる。実はヨハネス8世に続く次子として、もう一人のコンスタンティノスが生まれていた。その生年に関しては1393年から1398年の間としか判らない。彼は生まれて間もなく兄と共にモレアス専制公領に避難した。父が西欧から帰国した(1403年)後、兄ヨハネス8世、弟テオドロス2世は首都コンスタンティノポリスに戻ったが、コンスタンティノスは一人モネンヴァシアに残され、その地で死去した(恐らくは1405年以前)。なお、コンスタンティノス11世と弟デメトリオスの間にももう一人、ミカエル(ミハイル)という名前の息子が生まれた(1406年頃)が、こちらは誕生後間もなく死去した。
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