カール・ヴィルヘルム・フォン・ディースカウとは? わかりやすく解説

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カール・ヴィルヘルム・フォン・ディースカウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 18:19 UTC 版)

カール・ヴィルヘルム・フォン・ディースカウKarl Wilhelm von Dieskau1701年8月9日カネーナドイツ語版 - 1777年8月14日ベルリン)は、プロイセン王国中将そして砲兵総監である。彼は12の戦役、10の戦いと9の攻囲戦に参加した。黒鷲勲章プール・ル・メリット勲章を受章し、1851年に建てられたフリードリヒ大王騎馬像英語版に名を連ねている。彼は一般的に、フリードリヒ大王が誇った騎馬砲兵隊の創設者とされる。


  1. ^ Gothaisches genealogisches Taschenbuch der adeligen Häuser, 1905. Sechster Jahrgang, p.226 Karl Volrad von Dieskau.
  2. ^ a b c リッペ=ヴァイセンフェルト伯エルンストドイツ語版:ドイツ一般人名事典英語版Dieskau, Karl von, Band 5, Duncker & Humblot, Leipzig 1877, p. 147.
  3. ^ この主張は事実と異なると考えられる。ジャン・マリッツが砲身の水平式穿孔装置を開発したのは1734年頃であり、フランスで採用されていた。しかし他国がこの技術に関心を持ったのは同名の息子が装置を改良し、大砲製造工場の総監に就任した1755年以降のことである。William H. McNeill, The Pursuit of Power: Technology, Armed Force, and Society since A.D. 1000, University of Chicago Press, 2013, p. 167
  4. ^ Tim Blanning, Frederick the Great, King of Prussia. Random House Publishing Group, 2016, 9781400068128 p. 289.
  5. ^ この任命は、元帥として神聖ローマ帝国に仕えてきたシュメッタウがプロイセンに転仕するにあたり、あたかも彼自身に砲兵隊の上級指揮権が与えられているかのような、一種の地位向上を認めるためのものであった。実務上、砲兵隊に関する国王の命令は全て直接、当時の砲兵司令官であったクリスティアン・ニコラウス・フォン・リンガーに送られている。Eduard Lange, Die Soldaten Friedrichs des Großen, Hermann Mendelssohn, Leipzig, 1853, p. 368
  6. ^ a b c d e Philip Haythornthwaite, Frederick the Great's Army (3): Specialist Troops, Bloomsbury Publishing, 2012, 9781780967622 page.なお原文には「nominal command」とあるが、ここでは引用元の表現(acutual commander)に添って改訳した。
  7. ^ a b ハンス・ブラーニヒドイツ語版:新ドイツ人名録英語版Dieskau, Karl Wilhelm von, Band 3, Berlin: Duncker & Humblot, pp. 662–662
  8. ^ a b 外部サイト、Kronoskafの記事(Prussian Horse Artillery)より。出典としてGeneralstab Kriegsgeschichtliche Abteilung II, Die Kriege Friedrichs des Grossen, Part 3 Der siebenjährige Krieg 1756-1763, Vol. 1 Pirna und Lobositz, Berlin, 1901, Appendix 1, と Generlieutenant von Strotha, Königlich Preussische Reitende Artillerie vom Jahre 1759 bis 1816. Berlin 1868, Vossische Buchhandlung. が挙げられている。30 November 2014版を2017年3月6日に参照。
  9. ^ J. F. C. Fuller, A Military History of the Western World, Da Capo Press, 1987, ISBN 978-0-306-80305-5 p. 212-215.
  10. ^ Denkmal König Friedrichs des Großen. Enthüllt am 31. Mai 1851, Berlin 1851 (1987年再版、Leipzig)


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