オットー2世 (神聖ローマ皇帝)とは? わかりやすく解説

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オットー2世 (神聖ローマ皇帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 05:06 UTC 版)

オットー2世Otto II., 955年 - 983年12月7日)はザクセン朝第3代国王(ドイツ王、在位:961年 - 983年[注釈 1]及びオットー朝第2代イタリア王オットーネ2世(在位:980年 - 983年)、神聖ローマ皇帝(戴冠:967年12月25日[注釈 2]オットー1世とその2番目の妻アーデルハイト・フォン・ブルグントの息子。973年までは父の後継者としての共立王、共同皇帝。偉大なる父の偉業を受け継いで単独の皇帝となってからも版図の拡大・皇帝権の強化を図ったが帝国各地の反乱に苦しみ、28歳でマラリアのために急逝した。


注釈

  1. ^ 現代から見れば実質ドイツ王だが称号は「東フランク王」「フランク王」単にあるいは「王」と不安定で、また当時国家・地域・民族としてのドイツは存在しない。
  2. ^ 当時はまだ神聖ローマ帝国という国号はなく、古代ローマ帝国内でローマ人と混交したゲルマン諸国及びその後継国家群を漠然とローマ帝国と呼び、皇帝は古代帝国の名残であるローマ教会の最高位聖職者、すなわち教皇により戴冠していた。また神聖ローマ皇帝やドイツ王は歴史学的用語で実際の称号ではない。

出典

  1. ^ Schutz, p. 51
  2. ^ 瀬原、p. 87
  3. ^ 瀬原、p. 92
  4. ^ 瀬原、p. 95。973年、ハインリヒ2世の妹婿シュヴァーベン公ブルヒャルト3世が死去した後、オットー2世は異母兄リウドルフの子で自らの甥オットーをシュヴァーベン公位につけた。ハインリヒ2世はこの人事に不満を持った。
  5. ^ a b 瀬原、p. 99
  6. ^ 瀬原、p. 97-98
  7. ^ 瀬原、p. 98
  8. ^ a b c 瀬原、p. 100
  9. ^ a b 瀬原、p. 101
  10. ^ 瀬原、p. 101-102


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