オタカル2世 (ボヘミア王)
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オタカル2世(Přemysl Otakar II., 1230年?[1] - 1278年8月26日[2][3])は、プシェミスル朝のボヘミア王(在位:1253年 - 1278年[4])、オーストリア公(在位:1251年 - 1278年)。ヴァーツラフ1世とローマ王フィリップの娘クニグンデの次男。ボヘミア王とポーランド王も兼ねたヴァーツラフ2世の父。大空位時代にローマ王に選ばれたカスティーリャ王アルフォンソ10世は母方の従弟に当たる。ドイツ語名Ottokar、ハンガリー語名Ottokárから、オットカール2世とも呼ばれる。
- ^ 稲野強「オタカル2世」『東欧を知る事典』新訂増補、62頁
- ^ a b c d e ツェルナー『オーストリア史』、153頁
- ^ 薩摩『物語 チェコの歴史』、50頁
- ^ 上田篤、田端修『路地研究 もうひとつの都市の広場』鹿島出版会、2013年、172頁。ISBN 978-4-306-09423-9。
- ^ ツェルナー『オーストリア史』、154-155頁
- ^ a b ツェルナー『オーストリア史』、154頁
- ^ a b 藤井『中世チェコ国家の誕生』、165-166頁
- ^ 薩摩『物語 チェコの歴史』、45頁
- ^ 薩摩『物語 チェコの歴史』、46頁
- ^ ツェルナー『オーストリア史』、108,148頁
- ^ ツェルナー『オーストリア史』、148-149頁
- ^ a b c ツェルナー『オーストリア史』、149頁
- ^ 藤井『中世チェコ国家の誕生』、209,289頁
- ^ a b ツェルナー『オーストリア史』、151頁
- ^ a b 山内進『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』(講談社選書メチエ, 講談社, 1997年9月)、169頁
- ^ 薩摩『物語 チェコの歴史』、48-49頁
- ^ 薩摩『物語 チェコの歴史』、49頁
- ^ a b c d ツェルナー『オーストリア史』、150頁
- ^ a b 薩摩『物語 チェコの歴史』、48頁
- ^ a b c d e ツェルナー『オーストリア史』、152頁
- ^ a b ウィートクロフツ『ハプスブルク家の皇帝たち』、39頁
- ^ 池谷文夫「ドイツ王国の国制変化」『ドイツ史 1 先史〜1648年』収録(木村靖二、成瀬治、山田欣吾編, 世界歴史大系, 山川出版社, 1997年7月)、294頁
- ^ ツェルナー『オーストリア史』、152-153頁
- ^ ウィートクロフツ『ハプスブルク家の皇帝たち』、43頁
- ^ ツェルナー『オーストリア史』、153-154頁
- 1 オタカル2世 (ボヘミア王)とは
- 2 オタカル2世 (ボヘミア王)の概要
- 3 参考文献
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