エドワード・ブラドック
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エドワード・ブラドック(英:Edward Braddock、1695年? - 1755年7月13日)はイギリス軍の将軍であり、フレンチ・インディアン戦争の開始時点で北米方面軍の最高司令官であった。ペンシルベニア西部にあったフランス軍の砦を攻略するために、ブラドック遠征隊を率いたが、モノンガヘラの戦いで大敗し、戦死した[1]。
- ^ “The Battle of the Monongahela”. World Digital Library (1755年). 2013年8月4日閲覧。
- ^ ワシントンがブラドック遠征隊でバージニア民兵を率いたという証言もあるが、これは正しくない(ワシントンが遠征の前後でバージニア民兵を率いたのは事実である)。志願副官として、ワシントンは基本的に無給、肩書きなしの相談役で従軍し、ほとんど権威は無かったものの、内部の運営には深く関わった。
- ^ モノンガヘラの戦いは待ち伏せと言われることもあるが間違いである。両軍は予期しない場所と時間にぶつかり、「会戦」の形をとった。フランス・インディアン連合軍の素早い反応が、ブラドック軍の多くの将兵に待ち伏せされたと信じ込ませた。しかし、フランスの記録によれば、フランス・インディアン連合軍は待ち伏せをするには遅きに失しており、単にイギリス軍を驚かせただけであるという。
- ^ See, for example, Armstrong Starkey's European and Native American Warfare, 1675-1815 (University of Oklahoma Press, 1998).
- ^ This argument is most recently presented in Guy Chet's Conquering the American Wilderness: The Triumph of European Warfare in the Colonial Northwest (University of Massachusetts Press, 2003).
- 1 エドワード・ブラドックとは
- 2 エドワード・ブラドックの概要
- 3 議論
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
エドワード・ブラドック(Edward Braddock)
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「アサシン クリード III」の記事における「エドワード・ブラドック(Edward Braddock)」の解説
イギリス軍少将であり、フレンチ・インディアン戦争の北米方面軍最高司令官で、テンプル騎士団の一人。かつてヘイザムが任務で共にしていた頃、兄弟と呼び誓ったほどの仲であった戦友。
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