エインズレー・ダンバー
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エインズレー・ダンバー[注釈 1] (Aynsley Dunbar、1946年1月10日 - )は、イギリス人ドラマー。本名は、エインズレー・トーマス・ダンバー(Aynsley Thomas Dunbar)。ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション、ジェファーソン・スターシップ、ホワイトスネイク、ジャーニーなど錚々たるビッグネームのバンドで活躍したベテランである。抜群のリズムキープ力と音数の多さ、相反するヘヴィなヒッティングが特徴。
注釈
- ^ 「アインズレー・ダンバー」「エインズレイ・ダンバー」の表記もある。
- ^ ミック・ウォーラー。ダンバー脱退後に加入したドラマー。
- ^ アルバム『ブルー・ホエール』はAynsley Dunbar's Blue Whaleの作品と言われるが、公式ウェブサイトではソロ作品として扱われている。
- ^ エインズレー・ダンバー・リタリエイションの他、ピンク・フロイド、イエス、ザ・ナイス、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドなどが出演し、ザッパは進行係(master of ceremonies)を務めた。
- ^ ザッパは12歳の時にドラムスを始め、17歳の時にギタリストに転向した。
- ^ 結成時のメンバーはザッパ(ギター、ボーカル)、ダンバー(ドラムス)、ジョージ・デューク(キーボード、トロンボーン)、イアン・アンダーウッド(キーボード、アルト・サクソフォーン)、ハワード・カイラン(ボーカル)、マーク・ボルマン(ボーカル)、ジェフ・シモンズ(ベース・ギター、ボーカル)。メンバー数人の入れ替わりを経て、1971年12月、ロンドン公演でザッパが重傷を負うまで活動した。
- ^ さらにダンバーは、1972年にザッパ名義の『ワカ/ジャワカ』とMOI名義の『グランド・ワズー』の2作のアルバムの制作に参加した後、ザッパと袂を分かった。
- ^ MOIの一員として、フィルモア・イーストでのMOIのコンサートのアンコールにゲスト出演したジョン・レノン夫妻と共演した時の音源が収録された。
出典
- ^ “Sunday Sounds: Mitch Mitchell's Psychedelic, Jazz-Influenced Playing on Jimi Hendrix's "Purple Haze"”. drummagazine.com (2018年8月26日). 2018年12月30日閲覧。
- ^ “Jeff Beck 「Beckology」解説P.24”
- ^ aynsleydunbar.com/disco 2020年4月10日閲覧
- ^ Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. London: Omnibus Press. pp. 113-114. ISBN 978-1-78038-076-6
- ^ Ulrich (2018), pp. xxx–xxxi.
- ^ Ulrich (2018), pp. xxxi–xxxii.
- ^ Ulrich (2020), p. 413.
- ^ Ankeny, Jason. “UFO - Biography & History”. AllMusic. 2018年12月30日閲覧。
- ^ “Jake E. Lee: 'Retraced' Final Track Listing Revealed”. Blabbermouth.net (2005年4月10日). 2018年12月30日閲覧。
- 1 エインズレー・ダンバーとは
- 2 エインズレー・ダンバーの概要
- 3 来歴
- 4 エピソード
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
イギリスのドラマー | ブライアン・デヴィソン ウィル・チャンピオン エインズレー・ダンバー エド・グラハム クリス・シャーロック |
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