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イエス (バンド)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/08 06:25 UTC 版)
イエス (Yes) は、イギリス出身のプログレッシヴ・ロックバンド。
1969年にデビュー作「イエス・ファースト・アルバム - Yes」を発表、その年のブライテストホープとなり注目された。代表作は「こわれもの - Fragile (1971年)」,「危機 - Close to the Edge (1972年)」、ポップ作品として成功した「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」などが挙げられる。
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- ^ 黒田史朗著「イエス」より。以降、特に表記が無い限り、時期や場所の記述は参考書籍に列記された資料やアルバムのライナーノーツなどに基づいている。
- ^ ただし、この人脈図は、ビル・ブラッフォードの参加時期など、インタビューにおける本人のコメントと整合していない記述もあり、資料価値としての疑問を呈する意見もある。
- ^ ビル・ブラッフォードの公式サイトで彼自身が名言しており、「イエス」に改名した時点の4人が並んで寝そべっている写真も公開されている。
- ^ クリス・スクワイアとピーター・バンクスがファンだと公言していたザ・フーの影響が、分かりやすい形で音に現れている、という意見もある。更にビル・ブラッフォードを筆頭に、トニー・ケイ、バンクスが傾倒していたジャズの要素も少なくない。また、当時ジョン・アンダーソンが気に入っていたコーラス・グループのフィフス・ディメンション、スクワイアが少年時代に参加していた聖歌隊、そして2人が共にファンだったというサイモン&ガーファンクルという嗜好 / 経験で意見が合致した「強力なコーラス・ワーク」は、結成当初から現在に至るまで一貫してイエスのサウンドに取り入れられ、この時期、既にその片鱗が現われているといわれている。
- ^ イエスの場合は「バンド演奏とのバランスがあまり良くなく、成功とは言い難い」という見解もある。シンフォニック・サウンドの導入には困難が伴う事が判明し、それが後にシンフォニック・サウンドの構築を得意とするリック・ウェイクマンの加入に繋がったのではないか、という意見がある。また、このことによって各メンバーの音楽指向の違いが浮き彫りになり、この時点でのピーター・バンクスの脱退と、後のトニー・ケイの脱退が具現化したとされている
- ^ ただし、大部分が他のバンドの前座だったため、詳細は伝わっていない。
- ^ XYZのセッションがかなり具体的なものであったことは、当時の音楽マスコミも重ねて伝えており、ジョン・ボーナムを失ったばかりのレッド・ツェッペリンが、その活動を続けるため、キーボードもこなすベーシストのジョン・ポール・ジョーンズをキーボード専任にシフトし、開いたリズム・セクションを埋めるため、クリス・スクワイアとアラン・ホワイトを加入させる、という噂まで飛び出した。事実、そういう形のセッションも実験的に行われたと伝えられているが、結局はXYZもスクワイアとホワイトの移籍も実現せず、二人はシネマ (Cinema) の結成に向けて活動を開始する。また、XYZのスタジオでのリハーサルの録音テープ(4曲入り)が流出しており、その中からの2曲が後にイエスの曲として発表された作品の原曲となっている。
- ^ ホーンのソロ・プロジェクト色が強い作品だが、ジェフ・ダウンズもエイジアに参加するまでの短期間ながら、制作に携わっている。商業的成功は前作に全く及ばず、日本では当時リリースすらされなかった。ただし、以後プロデューサーとして名声を得るホーンが、ミュージシャン/アーティストとして活動した最後の作品という意味でも重要な1枚であるという意見がある。なお、アート・オブ・ノイズも彼のユニットとして見ることができる。
- ^ 当時はイエスソングスに収録されている3曲のみだった。
- ^ スタジオ作品にも全面参加している。
- ^ ちなみにこの経緯については、「ABWHは実際には曲作りに困っていたこともなく、アンダーソンが抱いていた「よりイエスらしい自分たちがイエスと名乗れないフラストレーション」のためにラビンに接触した、というのが実情」と見る向きもある。
- ^ [1]
- ^ 公式サイトによれば現在は参加していない模様
- 1 イエス (バンド)とは
- 2 イエス (バンド)の概要
- 3 メンバー
- 4 ディスコグラフィ
- 5 関連アーティスト/バンド
- 6 参考書籍
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