ウイリー事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 07:55 UTC 版)
ウイリー事件(ウイリーじけん、台湾語:威里事件)とは、1906年(明治39年)夏、日本統治時代の台湾東部、ウイリー社(現在の花蓮市近郊、秀林郷佳民村)において、樟脳製造現場の賃金トラブルにより、日本人25人が台湾原住民タロコ族に殺害された事件である。犠牲者の中には時の花蓮港支庁長・大山十郎も含まれていたため大山十郎事件とも呼ばれる[1]。
注釈
- ^ 現在の花蓮県大濁水渓から清水山以南、木瓜渓北部を結ぶ線の東側。反対に三角錐山から立霧渓中流のタビト(現在の天祥)以西の上流部は「内タロコ」と呼ばれた。
- ^ タロコ族を含む台湾原住民の多くの部族には、首狩りの風習があった。首狩りを行う理由としては「成人儀礼」「武勇を誇る」以外に、「裁判の決着」がある。村内でトラブルが生じ、当事者双方が譲らない場合、当事者らは全く無関係の地に赴いて首狩りを行い、得た首の多寡で理非の判断をした。トラブル当事者が女性や老人で「自力での首狩り」が難しい場合は、「代理人」を立てて首狩りを頼んだ。
- ^ 戴寶村 (2014, p. 13)は、ハロク・ナウイと彼の娘婿でコロ社頭目・ピッサオ、コロ社副頭目・ヤケンらがタロコ族を引き連れ賀田組の弾薬販売場を襲ったとされる。この資料には、金銭トラブルの一件は記されていない
- ^ なお事件の発生日時について、戴寶村 (2014, p. 13)は8月1日、山口政治 (2007, p. 102)は7月31日としている。
出典
- 1 ウイリー事件とは
- 2 ウイリー事件の概要
- 3 事件後の影響
- 4 井上伊之助
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