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アンドレイ・ルブリョフ

原題:Andrei Rublyov
製作国:ソ連
製作年:1969
配給:東和
スタッフ
監督:Andrei Tarkovsky アンドレイ・タルコフスキー
脚本:Andrei Tarkovsky アンドレイ・タルコフスキー

Andrei Mikhalkov Konchalovsky アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー
撮影:Vadim Yusov ワジーム・ユーソフ
音楽:Vyacheslav Ovchinnikov ビャチェスラフ・オフチンニコフ
字幕監修:岡枝慎二 オカエダシンジ
キャスト(役名
Anatoly Solonitsyn アナトリー・ソロニーツィン (Andrei Rublyov
Ivan Lapikov イワン・ラピコフ (Kirill)
Nikolai Grinjko ニコライ・グリニコ (Danil)
Nikolai Sergeyev ニコライ・セルゲニフ (Feofan)
Nikolai Burlyayev ニコライ・ブルーリャーエフ (Boriska)
Irma Raush イルマ・ラウシュ (A half-witted girl
Yuri Nazarov ユーリー・ナザーロフ (The Grand Duke
Yuri Nazarov ユーリー・ナザーロフ (The Duke the younger)
Rolan Bykov ローラン・ブイコフ (A Strolling Player
解説
ロシア美術史上、不世出天才画家として有名なアンドレイ・ルブリョフの波に充ちた生涯を描く。監督は「僕の村は戦場だった」のアンドレイ・タルコフスキー脚本タルコフスキーアンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー撮影ワジーム・ユーソフ美術はエウゲニー・チェルニャーエフ、音楽ビャチェスラフ・オフチンニコフ各々担当出演アナトリー・ソロニーツィンイワン・ラピコフニコライ・グリニコニコライ・セルゲニフニコライ・ブルーリャーエフイルマ・ラウシュユーリー・ナザーロフローラン・ブイコフなど。
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
第一部動乱そして沈黙〉一四〇〇年。降りしきるの中、三人僧侶田舎道を急いでいた。アンドレイ・ルブリョフ(A・ソロニーツィン)とキリール(I・ラピコフ)とダリール(N・グリニコ)は、モスクワのアンドロニコフ修道院の同じ僧房で神への奉仕絵画修業十年近い歳月を過ごした研鑽仲間たちである。三人雨やどりで立ち寄った丸太小屋で陽気な旅芸人が、富裕階級聖職者道徳的廃退面白おかしい物語にして歌い踊るのを見たが、途中一度キリールが小屋から姿を消し理由アンドレイもダリールもそのときは気づかなかった。いきなり三人騎兵隊がきて旅芸人をムリヤリ連れ去ったのはその直後のことだった。支配階級への民衆ささやかな抗議はいつもこのようにして圧殺されていたのだ。一四〇五年。ある旅の途中で、キリールはフェオファン・グレク(N・セルゲエフ)に出会った。乞食坊主のような風態ながら、この男こそ国にならぶ者なきイコン聖像画)の名匠だ。自分画才アンドレイはるかに及ばぬことを知っているキリールはフェオファン取り入りモスクワ寺院イコンを描く仕事をもらうとそのため大公からの招請状自分にあて修道院届けてほしいこと、それもアンドレイ見ている前で自分手渡してほしいことを約束させたが、意外にも大公から届いた招請状アンドレイあてであった。賢明フェオファンいち早くキリールの魂胆を見抜いたのだ。落胆憤懣からキリールは逆にアンドレイ出世欲かたまり決めつけ、宗教界の堕落を罵って、僧職捨て俗界飛び出してしまった。一四〇六年。モスクワでのアンドレイ新しい生活が始まった。弟子たちの協力得て彼は連日寺院の白い壁に向かったが、絵筆一向に進まなかった。ペストがはびこり、飢饉がうち続き民衆年貢の高さに苦しめられながらしかもなお、無為な生活に甘んじているという現在の暗黒世界早く終わらねばならない、そして人間自分たちの力で地上に幸福を作りださねばならない−−そう信じているアンドレイには、たとえ「最後の審判」を壁画にするにしても今までのように古い伝統そのままなぞってキリスト使徒たちの周囲地獄の釜ゆでの残酷な光景悪魔恐しさをただ毒々しく彩って描くことが耐えられなかった。彼が描きたいのは“愛”であった。忍耐寛容に充ちた神の愛なのであった。 〈第二部・試練そして復活〉一四〇八年。タタール人の突然の襲来はその頃であった。大公と公弟の争いに端を発したこの襲撃ロシア国内地獄図変貌させ、塁々たる屍の山を築き上げ寺院をも血の海にして火を放った。殺戮の嵐が通りすぎたあと、生きて堂内に残ったのはアンドレイと彼が助け白痴少女(I・ラウシュ)とフェオファンだけだった。アンドレイ絵筆捨て決意をしたのは、その日である。少女生命を救うためにせよ人をひとり殺してしまったことが彼の心をさいなんだからだが、理由それだけではなかった。同じロシア土地で同じ信仰のもとに生きる同志がなぜこのような殺し合いせねばならないのか? もはや彼は人を信ずることが出来ず、ただ労働生きる決意をかため、アンドロニコフ修道院へ戻っていった一四一二年。大飢饉三年続き長い冬はいつまでも終わろうとしない。そんなある日、キリールが修道院へ戻ってきた。彼はかつての醜い出世欲とも無縁人間になっていたが、旧交が戻った彼の前でも相変わらずアンドレイ言葉を知らぬ者のように無言の行守り続けていた。一四二三年。ロシアはなお暗黒中にあったが、その底に秘めた生命力諸外国示威するため、大公教会頂きに飾る巨大な鐘の鋳造技術者たちに命じた。しかしその鋳造名人と言われた男はすでに死んでいて、そのひと息子ボリースカ(N・ブルリャーエフ)が生前に父から秘訣教えられたと主張するのを半信半疑ながら、彼をリーダーに、ともかく作業開始された。まず最良質の粘土さがしから始まり、それを固め作り上げた鐘の鋳型に、これまた彼ら自身の力で築いた溶鉱炉から流し込むまで、技術者たちの不眠不休努力は、まさに生命をけずる凄まじさで、ことにボリースカの創造への情熱狂気じみて凄絶だった。その少年の姿を沈黙のうちに見守るアンドレイの瞳にも感動の色はかくせなかった。ようやく完成した大鐘各国からの使節団の前で、ロシア大空高らかな音を鳴り響かせたあと、大地につっ伏して号泣する少年アンドレイ初めて近寄った。「父が鋳造秘訣教えてくれたなどといったのはウソだった。ただ鐘を自分作りたくて」。無邪気少年にかえって泣きじゃくるボリースカを抱き寄せて、アンドレイはやさしくいった。「泣くことはない。お前は立派にやりとげたではないか。私はもう一度絵筆をとってお前と一緒にやっていこう」。十五年ぶりに彼の口から出た言葉だった。古代ロシア美術史の今も燦然と輝くイコン美術巨匠アンドレイ・ルブリョフの偉大な画業への出発は、実にこの瞬間から始まったのであった。


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アンドレイ・ルブリョフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/31 05:46 UTC 版)

アンドレイ・ルブリョフ(ロシア語:Андре́й Рублёвアンドリェーイ・ルブリョーフラテン文字表記の例:Andrei Rublev1360年頃 - 1430年)はロシアの修道士、15世紀ロシア、モスクワ派(ルブリョフ派)における最も重要な聖像画家(イコン画家)のひとりである。正教会では聖人とされ、記憶日は二つある(ユリウス暦7月4日1月29日、グレゴリオ暦換算:7月17日2月11日)。




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