アンドレイ・ルブリョフ (映画)
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『アンドレイ・ルブリョフ』(Андрей Рублёв)は、1971年のソビエト連邦の映画である。監督は、アンドレイ・タルコフスキー、脚本は、アンドレイ・コンチャロフスキーとアンドレイ・タルコフスキーがつとめた。出演は、アナトリー・ソロニーツィン、イワン・ラピコフ、ニコライ・グリニコ、ニコライ・セルゲーエフ、ニコライ・ブルリャーエフ、イルマ・ラウシュなど。15世紀初頭のモスクワ大公国を舞台に、イコン画家アンドレイ・ルブリョフを描いた歴史映画である。
注釈
- ^ a b ソビエト連邦と西側諸国とで製作の役割は異なった。ソビエト連邦での製作とは、西側諸国におけるラインプロデューサーや、ユニット・プロダクションマネージャーに似た役割をしていた[1]。
- ^ この女にあてられた日本語の役名は、資料ごとに異なり一定ではない。1974年、日本国内で劇場公開された当時の映画パンフレットの役名欄には「白痴の少女」と記されており、後年に日本国内で発売されたレーザーディスクの役名欄においては「精薄の娘」と記されている。ほかの資料においては「白痴の娘」[7]、「白痴女」[8]、「無垢な乙女」[9]などとある。そもそも、本作の脚本では、女をюро́дивая(ユロージヴァヤ)と表現していた[7]。この語について、落合東朗は次のように解説した。「東方キリスト教では、修行のために完全に孤独な生活を実現することをひとつの理想とした。そのために狂人をよそおって孤独を得るものがあらわれた。それを男性名詞ではユロージヴィ、女性名詞ではユロージヴァヤといい、佯狂とか聖愚者と訳されている。」[7]この解説にならい、本項における役名は「佯狂の女」に統一した。
- ^ a b ゴスキノは、国家映画委員会(Государственный комитет по кинематографии)の略称である。1919年8月にウラジーミル・レーニンが映画産業の国有化宣言を行い、映画にかんする行政機関「教育人民委員部全ロシア写真・映画部門」を創設した。これを1922年に「中央国立写真・映画企業」に改組、同年さらに「ソビエト連邦人民委員会議付属映画委員会」と改称して、ソビエト連邦における映画全般の管理を目的としたゴスキノの歴史が始まった。ゴスキノの役割は、映画の検閲だけでなく、党と政府の映画にかかわる諸決定の実施や、映画政策の立案、また映画製作、配給、上映、輸出入、映画人の教育、さらには映画資機材の生産開発にもおよんだ[12]。
- ^ モスクワの映画館のひとつで、映画人同盟の拠点だった。「映画人同盟会館」や、「映画人の家」などと訳される。
出典
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- 1 アンドレイ・ルブリョフ (映画)とは
- 2 アンドレイ・ルブリョフ (映画)の概要
- 3 封切り
- 4 作品の評価
- 5 脚注
「アンドレイ・ルブリョフ (映画)」の例文・使い方・用例・文例
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