アングロ・ブルギニョン同盟
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「ブルゴーニュ公国」の記事における「アングロ・ブルギニョン同盟」の解説
23歳でブルゴーニュ公位を継承したフィリップ3世(善良公/ル・ボン)は、直ちにイングランドとの交渉を行い、同年12月2日には妹アンヌとベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの結婚を含む「アングロ・ブルギニョン同盟」(イングランド・ブルゴーニュ同盟)を結んだ。 この結果、ブルゴーニュ派は狂気王シャルル6世と王妃イザボーを擁して、和平条約締結を推進でき、1420年5月21日にトロワ条約として結実した。これにより、ヘンリー5世とシャルル6世の王女キャサリン(仏:カトリーヌ)が婚姻し、シャルル王太子が廃嫡され、シャルル6世の崩御後はイングランド・フランス二重王国として両国・両王家が統合されるはずであった。ヘンリー5世は1422年8月31日に崩御し、シャルル6世は1422年10月21日に崩御したため、生後9か月のヘンリー6世が即位した。シャルル王太子はトロワ条約を否定した。
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