アングレームの領主一覧とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アングレームの領主一覧の意味・解説 

アングレームの領主一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 07:32 UTC 版)

アングレーム伯(comtes d'Angoulême)およびアングレーム公(ducs d'Angoulême)は、フランス西部のアングレームの領主である。アングレームはもともとカロリング帝国アキテーヌ王国の一部であった。カール大帝の継承者のもとで、在地のアングレーム伯は独立状態にあり、1308年までフランス王国に統合されなかった。ブレティニー条約(1360年)により、当時アングレーム伯が支配していたアングモアの地は、イングランドの領土としてエドワード3世に割譲された。1371年、アングレームはフランス王家の分家であるベリー公の封土となり、その後オルレアン公ルイの手に渡った。これ以降、アングレームはアングレーム伯フランソワがフランス王フランソワ1世となる1515年まで、ヴァルワ=オルレアン家が保持した。その後、アングモアは公領としてフランス王家の領地に統合された。


  1. ^ エマール2世はギヨーム2世の2人の息子のうちの1人であるが、エマール2世がアングレーム伯であったことは父の遺書のみが根拠である。Debord (pp. 99–103) は、エマール2世がアングレーム伯となったと見られるとしているが、Bourgeoisはこの可能性を否定している (pp. 387, 392)。ギヨーム2世の遺書についてはPaul Lefrancq, ed., Cartulaire de l’abbaye de Saint-Cybard (Angoulême: Imprimerie Ouvrière, 1930), #222を参照。
  2. ^ Debord (pp. 99–103) はリシャールを除外しているが、Bourgeois (pp. 387, 392–93) はリシャールを加えている。リシャールはアデマール・ド・シャバンヌの年代記にのみ見られ、もしリシャールが支配したとすれば、それは975年であったとみられる(Ademari Cabannensis opera omnia pars 1: Chronicon, ed. Pascale Bourgain, Richard Landes, and Georges Pon, Corpus Christianorum Continuatio Mediaevalis 129 (Turnhout: Brepols, 1999), III.28, 148.)。
  3. ^ Debordはギヨーム6世の死を1180年としており、ヴュルグラン3世の支配の開始を同年としている(p. 212)。しかし、Rowan Charles Watsonはこれに同意していない("The Counts of Angoulême from the 9th to the Mid 13th Century" (PhD diss., University of East Anglia, 1979), p. 453.)。これは特許状に基づいており(Watson, pp. 353–62)、ジョフロワ・デュ・ブロイの年代記はギヨーム6世は1179年に死去し、ヴュルグラン3世は2年間のみ支配したとしている("Chronica Gaufredi coenobitae monasterii D. Martialis Lemovicensis, ac prioris Vosiensis coenobii," in Novae bibliothecae manuscriptorum librorum tomus secundus: rerum aquitanicarum. . . . ed. Philippe Labbe (Paris: Sebastian Cramoisy, 1657), pp. 325–26.)。
  4. ^ ユーグ10世と他のリュジニャン家の成員については、Léopold Delisle, "Chronologie historique des Comtes de la Marche issus de la maison de Lusignan," Bulletin Société Archéologique et Historique de la Charente 4, no. 4 (1867): 3–16を参照。最初は以下の付属書として刊行された:"Mémoire sur une lettre inédite adressée à la reine Blanche par un habitant de La Rochelle," Bibliothèque de l’École des chartes 4th series, 2 (1856): 537–45.
  1. ^ Bourgeois 2009, p. 384.
  2. ^ Bourgeois 2009, pp. 384–85.
  3. ^ a b Bourgeois 2009, pp. 387, 389–91.
  4. ^ a b c d e f g h Debord 1984, pp. 99–103.
  5. ^ Bourgeois 2009, pp. 385–89.
  6. ^ Bourgeois 2009, pp. 387, 391.
  7. ^ a b c d Bourgeois 2009, pp. 387, 392–93.
  8. ^ a b c d e Bourgeois 2009, p. 387.
  9. ^ Debord 1984, p. 171.
  10. ^ a b c d Debord 1984, pp. 171, 212.
  11. ^ a b c d Watson 1979, p. 453.
  12. ^ Debord 1984, p. 573.


「アングレームの領主一覧」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アングレームの領主一覧のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アングレームの領主一覧」の関連用語

アングレームの領主一覧のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アングレームの領主一覧のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアングレームの領主一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS