ウィキペディア |
アルフレッド・コルトー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/18 09:31 UTC 版)
| クラシック音楽 |
|---|
![]() |
| 作曲家 |
| ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
| 音楽史 |
| 古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
| 楽器 |
| 鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
| 一覧 |
| 作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
| 音楽理論/用語 |
| 音楽理論 - 演奏記号 |
| 演奏形態 |
| 器楽 - 声楽 宗教音楽 |
| イベント |
| 音楽祭 |
| メタ |
| ポータル - プロジェクト カテゴリ |
アルフレッド・ドニ・コルトー(Alfred Denis Cortot, 1877年9月26日・スイス、ニヨン - 1962年6月15日・スイス、ローザンヌ)は、20世紀前半のフランスを代表する大ピアニスト、指揮者、教育者、著述家。
目次 |
略歴
ブルゴーニュにルーツを持つフランス人を父として、ジュラ地方にルーツを持つスイス人を母としてスイスに生まれる[1]。彫刻家ジャン=ピエール・コルトーや作曲家エドガー・ヴァレーズは親戚にあたる[1]。苗字の本来の綴りはCortoであり、祖先はカタルーニャ出身とも考えられている[1]。
2人の姉の指導ののち、パリ音楽院予備科でショパンから助言を得たことのあるエミール・デコムに、高等科ではルイ・ディエメに師事、1896年にショパンのバラード第4番で一等賞を受賞。しかし、予備クラスを落第したこともあり、サン=サーンスから酷評されたこともあるなど、音楽院内の評価は当初あまり芳しくなかった(サン=サーンスは音楽院に直接関係していたわけではないが)。
ピアニストとして楽壇にデビューしたが、ワーグナーの作品に傾倒し、先輩であったエドゥアール・リスレール(1873-1929)に従ってバイロイトに赴き、1896年から1897年までバイロイト音楽祭の助手を務めた。1902年頃からは指揮者として活動、ワーグナーの楽劇『神々の黄昏』のフランス初演を行うなどした。1905年にはヴァイオリニストのジャック・ティボー、チェリストのパブロ・カザルスとカザルス三重奏団を結成、1920年代後半にいたるまで素晴らしい演奏を繰り広げたが、最終的にはティボーとの仲が疎遠になって解散した。第一次世界大戦後はピアニストとして欧米をあまねく巡演、広く賞賛を集めた。
1907年にパリ音楽院の教授に就任したが、「音楽院の育成は、ピアニストだとピアノのことしか出来なくなる輪切りシステムだ」と言いつつ改革を訴えていた。1919年に理想の実現の為、オーギュスト・マンジョとともに自らの音楽学校「エコールノルマル音楽院」を設立し、同年パリ音楽院を辞任。さらに教育活動にも力を注ぎ、朝から公開レッスンを精力的に行った。エコールノルマル音楽院には彼の名を冠したサル・コルトーという響きの優秀なホールがある。
第二次世界大戦に際してはヴィシー政権と関わりをもち、フランスの未曾有の国難に対処しようとしたが、戦後はその責を問われ、フランス国内での演奏の機会を完全に奪われるなど不遇であった。1952年には来日もしており、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」などを演奏した。来日時の演奏中の写真、サインに応じる写真も多く残されている。
芸風
ピアニストとしてのコルトーは、ショパン、シューマンなどのロマン派、フランクからドビュッシーにいたるフランス近代を中心とした比較的狭い範囲をレパートリーとしていた。しかし、当時の録音技術や聴衆層の趣味の制約の為、断念した曲目も少なくない[要出典](アメリカ演奏旅行の際にはラフマニノフのピアノ協奏曲を演奏したこともある)。彼の美しいタッチと個性的なテンポ・ルバートを駆使した演奏は、深い詩情と多彩な感情を描き出した比類のないものであり、聴衆に大きな感動を与えた[要出典]。指揮と教育とピアノに跨って活躍できたからこそ、音楽院の「輪切りシステム」に対して批判的になる事が出来た逸材であった。[要出典]ワーグナーのフランス初演の録音が一切残されていないことが悔やまれる。
非常に弾き間違いの類いが多かったピアニストだが、これは彼が指揮者としての活動を兼ねる事も考え、驚くほど少ない練習時間で臨んでいた為と伝えられる[要出典]。それゆえか、弾き間違いがほとんど目立たない古傷のようで、全く演奏技術には問題がないと見られていた[要出典]。この欠陥は40~50歳代ではほとんど気にならなかったが、60代以降は流石に衰えは隠せなくなり、ライブで忘れるなどの悲劇も1度や2度ではなかったといわれる[要出典]。これは残されている録音からも、かなりの部分が類推できる[要出典]。また、シューマンのピアノ協奏曲で見られるように原曲に手を入れる古い流派に属していたこともあり、戦後のピアノ業界からは故意に遠ざけられた[要出典]ことも不運であった。
数多くの録音のほか、『ショパン』、『フランス・ピアノ音楽』といった著作(いずれも邦訳あり)、サラベール社から出版された、一般にコルトー版といわれる『学習版』の楽譜(ショパン、シューマンなど、一部邦訳あり)や、ピアノ演奏のメカニックを体系化して示した『教則本』(邦訳:『コルトーのピアノメトード』)も残されている。『学習版』は弾き方が全くわからない初心者の為に、作品の歴史に至るまで多くの解説を書いてくれてある。
ベートーヴェンを尊敬していた[要出典]わりには、その録音を残すことは少なかったが、死後スイスで録音された協奏曲第一番が公表された。しかしながら、フランスから完全に干されていた[要出典]ころの晩年の演奏であり、かつての勢いはほとんどなく控えめな表現で仕上げられている。
- 1 アルフレッド・コルトーの概要
- 2 指導
- 3 名演の数々
- 4 珍しい演奏の数々
固有名詞の分類
アルフレッド・コルトーに関連した本
- アルフレッドコルトー版 ショパン ノクターン 第1集 アルフレッド コルトー 全音楽譜出版社
- アルフレッド・コルトー(新装版) ベルナール ガヴォティ 白水社
- シューベルトアンプロンプチュ OP.90 (アルフレッド・コルトー版) 八田 惇 全音楽譜出版社
アルフレッド・コルトーに関係した商品
