アウェイスの帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:22 UTC 版)
「ヒズブル・イスラム」の記事における「アウェイスの帰還」の解説
4月下旬、ソマリア再解放連盟エリトリア派の主要メンバーであるアウェイス師がエリトリアから2年ぶりに帰国した。5月1日、アウェイス師は「反対派の殺害が許されるのは宗教的正義がある場合に限るのであり、反対派だからというだけで殺害していけない」との見解を表明している。 5月4日、アル・シャバブとヒズブル・イスラムのオマール・イマン議長、アウェイス師ら主要メンバーが協力して、ヒズブル・イスラムのユスフ・モハッメド・シアド・インダーデ(英語版)のグループを攻撃した。ユスフ・モハメド・シアドグループの副官は、アル・シャバブとヒズブル・イスラムが自分たちの管轄範囲を侵していると非難した。ユスフ・モハメド・シアドはソマリア暫定連邦政府と会談して一度はヒズブル・イスラムを脱退する意思を表明したが、5月12日には、アウェイス師に軍権を引渡し、分裂問題は解決した。 5月26日、オマール・イマンが議長を辞任し、アウェイス師が後任となった。アウェイスはこれより前からヒズブル・イスラムで最多数派を率いていた。 6月3日、政府軍は首都モガディシュでアル・シャバブとヒズブル・イスラムの勢力を排除するのに成功したと報じられた。6月7日にはソマリア中部ガルグドゥード州での戦闘で、アウェイス議長が負傷、ラスカンボニ軍のリーダーハッサン・トゥルキーが死亡したと報じられた。ただし、実際には両名とも無事であったことが判明している。また必ずしもヒズブル・イスラム側の勢力が衰退しているというわけでもなく、ほぼ同じ頃、政府側に付いていたイスラーム武装勢力の一部がヒズブル・イスラム側に鞍替えしている。
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