1796年9月9日の海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 02:28 UTC 版)
戦闘
ルーカスがフランス艦隊を発見したのは9月8日6時、スマトラ島北東端のペドロ岬のおよそ24海里 (44 km)東方の地点だった。10時、セルシーは現れた2隻が敵艦であろうと判断し、フリゲート艦隊に単縦陣を敷かせ、相手をさらに調べるためタッキングを行った[15]。14時、ルーカスとクラークは協議を行った。クラークが敵のうち2隻はフランスの戦列艦だと考えていたのに対し、ルーカスは、敵が6隻のフリゲート艦と拿捕されたインディアマンのトリトンから構成されていると正確に認識していた。2人はフランス艦隊を追撃し、可能なところで戦闘に入ることで合意した[15]。14時30分、フランス艦フォルテは、近づいてくる軍艦がイギリスの戦列艦であると断定した。セルシーは強力な敵艦と戦って不要な損害を被ることを恐れ、後退することにした。フランス艦隊は海岸線で避難場所を探したが、ルーカスのイギリス艦隊は距離を詰めてきた。21時30分の時点で、イギリス艦隊はフランス艦隊の後方3海里 (5.6 km)まで近づいていた[16]。
9月9日朝、風はおさまり、フランスフリゲート艦隊は戦列を組んだままスマトラ島北岸をゆっくりと東進し、すぐ後ろからイギリス艦隊が追っていた。6時、戦闘は避けられないと判断したセルシーは、有利な風上をとるよう諸艦に命じた。対するルーカスも、敵の意図を妨げるようにアロガントを動かした。7時25分、ルーカスは700ヤード (640 m)の距離にいたフランスの旗艦ヴェルトゥへの発砲を命じた[17]。ヴェルトゥ艦長ジャン=マルテ=アドリアン・レルミットが対応する前に、アロガントは2回分舷側砲を発射することができた。対するフランス側の最初の一斉射撃により、アロガントのイギリス軍艦旗が吹き飛ばされた。アロガントは徐々にフランス艦隊全艦からの砲撃に晒されるようになった。ヴェルトゥの後にセーヌ、フォルテ、シベールが続いてアロガントを追い越しながら砲弾を撃ち込み、より遠方にいたレジェネレーとプルデンテも連続射撃を始めた。この撃ち合いでアロガントとヴェルトゥは帆や索具を著しく損傷し、さらに風がほとんどなくなったことで、アロガントは一時航行不能に陥った[17]。
ヴィクトリアスにも砲弾が着弾し、8時にはクラーク艦長が腿に破片を受けて負傷し、退かざるを得なくなった。8時30分、最後尾のフランス艦プルデンテがアロガントの射程から離れ、アロガントは孤立した。ルーカス艦長からヴィクトリアスへ意思伝達ができない状況になったため、ヴィクトリアスのウィリアム・ウォーラー大尉がイギリス艦隊の指揮権を引き継ぎ、8時40分、ヴィクトリアスにフランス艦隊への接敵を命じた。アロガントの上には信号旗が上がっていたが、光と風のせいで読み取ることができなかった[18]。間もなくヴィクトリアスはフランス艦隊に包囲された。2隻が左舷船首、4隻が左舷正横に取り付き、全艦がおよそ900ヤード (820 m)の距離からヴィクトリアスを砲撃した。10時15分、突然風が再び吹き始めた時、ヴィクトリアスは酷く損傷していた。ウォーラーは風を利用して、ヴィクトリアスをアロガントと合流しに向かわせたが、フランス艦隊に船尾をさらす形になったことで繰り返し側面射撃を受けた。風は未だ不安定で、ヴィクトリアスは半時間のうちにさらに損傷した、フランス艦隊はイギリス艦の射程範囲の外にとどまり続けた[19]。
一方フランス側のヴェルトゥも損傷が激しく、戦闘を続けられる状況ではなかった。次第にヴェルトゥは戦列を離れ、南方へ撤退していった。シベール艦長ピエール・ジュリアン・トレホアールも自艦を南へ動かし、ボートでヴェルトゥに乗り移って曳航する準備を整えた。ヴェルトゥの安全が確保され、またアロガントが射程範囲に戻ってきたこともあり[20]、10時55分、セルシーは北方への撤退を歓待に命じた。11時15分にヴィクトリアスが長距離から売ってきた砲弾が戦闘の最後となった[18]。
戦闘序列
この表に掲載されている「砲門数」は、その艦に積載されていたカノン砲すべてを指す。すなわち艦の等級と関係している主甲板の大砲のみでなく、船内にある補助的なカロネード砲も含む[21]。「舷側砲弾重量」は、一度の一斉射撃で発射できる舷側砲の砲弾の総重量を示す。
艦名 | 艦長 | 海軍旗 | 砲門数 | 舷側砲弾重量 | 船員数 | 死傷者 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
死者 | 負傷者 | 計 | |||||||
HMS アロガント | リチャード・ルーカス | 74 | 838ポンド (380 kg) | 584 | 7 | 27 | 34 | ||
HMS ヴィクトリアス | ウィリアム・クラーク | 74 | 838ポンド (380 kg) | 493 | 17 | 57 | 74 | ||
ヴェルトゥ | ジャン=マルテ=アドリアン・レルミット | 40 | 1,700ポンド (770 kg) | 1400 | 9 | 15 | 24 | ||
セーヌ | ラトゥール † | 38 | 18 | 44 | 62 | ||||
フォルテ | ユベール・ル・ループ・ド・ボーリュー | 44 | 6 | 17 | 23 | ||||
シベール | ピエール・ジュリアン・トレホアール | 40 | 4 | 13 | 17 | ||||
レジェネレー | ジャン=バプティスト・フィリベール・ウィローム | 40 | 0 | 0 | 0 | ||||
プルデンテ | シャルル・レネ・マゴン・ド・メディーヌ | 32 | 3 | 9 | 12 | ||||
出典: Clowes, p. 503. Clowes conflates figures for broadside weight, crews and casualties. Crew and casualty details from James, pp. 353–354. |
- ^ Clowes, p.294
- ^ James, p.196
- ^ Parkinson, p.95
- ^ Parkinson, p.96
- ^ James, p.347
- ^ James, p.348
- ^ Parkinson, p.97
- ^ Parkinson, p.98
- ^ Parkinson, p.99
- ^ Parkinson, p.100
- ^ Roche, p.33
- ^ James, p.349
- ^ a b Parkinson, p.101
- ^ Parkinson, p.102
- ^ a b James, p.350
- ^ a b James, p.351
- ^ a b James, p.352
- ^ a b c James, p.353
- ^ Clowes, p.503
- ^ a b c Parkinson, p.105
- ^ James, p.32
- ^ a b c James, p.354
- ^ a b c Parkinson, p.104
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