ニューヨーク州立大学バッファロー校
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歴史
1848年にバッファロー及びナイアガラ地域の人々により私立医学校が設立されたことが始まり。ジェームス・プラット・ホワイト医博士が尽力し、1846年に州より設立許可を得た。彼の当初のクラスは89名で、産科学を教えた。このように大学設立当初の目的は、病院の協力のもとで医師を養成することであった。最初の学長は、後の第13代大統領ミラード・フィルモアである。12代大統領ザカリー・テイラーの死後、大統領に着任した後も、非常勤という形で学長であり続けた。ミラード・フィルモアの名前は大学の施設、生涯教育の学校などに残っている。
黎明期
医学部のプログラムの拡大、薬学科の設置後の1891年にナイアガラ大学より法学部(ロースクール)を得て、法学部を設置した。1909年にエリー郡より、最初の総合大学としての建物を得た。現在のサウスキャンパスが建学時の施設だと一般的に思われているが、厳密にはこのように違う。1915年に従来の専門資格型の教育と一線を画した一般教養及び科学系学部を設置した。1959年に学生によるAMラジオ放送を開始した。NPR (National Public Radio) で人気パーソナリティーのテリー・グロス及びイラ・フラトーらを生み出している。1960年の始め頃に、私立大学からSUNYの傘下に入り公立の大学となった。1961年にニューヨーク西部の核研究計画が立ち上がり、サウスキャンパスに小規模な核分裂反応炉が設置された。この計画は、政府と共同研究しているカリフォルニア大学バークレー校の核研究に太刀打ちできるものではなく、安全面の問題もあり、2005年に撤去されている。1964年に現在のノースキャンパスであるアムハーストに、将来医学関連以外の教育を行なう校舎用に土地を取得した。
UB2020構想
2004年より次期15年の戦略計画として、UB2020構想が立ち上がっている。構想の目玉としては、学生数を10.000人、750人の教員、600人のスタッフを増やし、大学の規模を現在の40%拡大することである。地域経済もこれにより15億ドル程度拡大し、税収も9千6百万ドル増えると試算している。この構想は学際的レベルをより高めていくために、5本柱をおいている。
- 学際的な既存概念の転換、知的集団への啓蒙をおこなっていく
- 大学施設間で垣根をなくしていく
- 社会政策を取り入れて大学としての責務を地域に貢献させていく
- 大学資源の活用、長期的計画実施の基盤の役を果たしていく
- 環境や持続的社会へのリーダーシップを発揮していく
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